夢も希望も自分のものだから
気温は低くないのに、風が冷たくて空気がひんやり。
いつまでも冬のコートが手放せない日々です。
あの震災から10年が経ったということで
テレビでは特番があったとかどうとか。
私はテレビをまったく見ないのでわからないのですが
職場でも震災の振り返り番組が放映されました。
被災していない私でも、映像を見るだけであの時のショックが思い出されて
こっそりと涙を拭きました。
あの日から私に起きた様々な変化を思い出すと
10年の重みを感じずにはいられません。
市民団体立ち上げて、小さなちらしを作ったこともありました。
食生活も変化して、それから家族関係もどんどん変わって。
激動の日々を歩いてきたことで、好む好まざるにかかわらず
自分自身が変わらざるを得なかったのは事実です。
専業主婦のままゆっくりと魂を病んでフェイドアウトする未来を置いて
まったく違う人生を歩むことになったのは予想外でした。
さて。
今の楽しみは外を歩いている時に花を見つけて写真を撮ること。
営業で歩いていても、景色を見る余裕だけは持ちたいと思って
っていうか、しんどい時ほど自然から癒される日々。
先日も、少し落ち込んでいる時に、道端のお地蔵さんを見つけました。
その脇に紫の小さな花がいっぱい咲いていたので
思わず手をあわせて写真を撮らせてもらいました。
少し暖かい日には桜も
昔から同じことを言ってるのですが
誰しも「職業」にこだわりすぎだと思うんです。
好きなことを仕事にすることが幸せであると思い込まされてる。
違いますよね。
自分のやりたいことを今の暮らしと仕事の中でやるのが幸せです。
相談に乗ることは、カウンセラーにならなくても占い師にならなくてもできます。
どんな仕事をしていても悩んでいる人はいるので
職場で相談に乗れる人になればいい。
家族がいれば家族の悩みを受け止める人になればいい。
人を笑わせたいなら、芸人にならなくたって、出会う人みんなを笑わせればいい。
育てることが好きなら、教師でも園芸家でも管理職でも何をしてても「育てる」ことです。
「仕事になること」だけが「仕事」ではありません。
どこにいても、何の仕事をしても「してしまうこと」が「自分のやりたいこと」であって、職業を限定することが「やりたいことをやる」ことではないと思っています。
だって、その仕事をしてても「この人、向いてないのにやってるんじゃないかな」と思うことは多々あります。好きだと思い込んでいるだけで。
自分自身がこの世界でどういう能力を発揮して生きていくのが幸せなのかがわかれば
職業や今いる場所は、さほど問題にはならないはずで
どこにいても何をしていても「それ」をするしかなくなるのだから
それが「自分がブレない」ということになるんだと思います。
職業にしなきゃと思うからしんどいんです。
どこにいても私はこれをやっていくんだ、というものが見つかれば
「こうならなければ」という呪縛は解ける。
夢や希望、といったようなフレーズに踊らされることなく
夢や希望は他人に見せるものではないので、
ただ一歩ずつ自分の道を歩いて生きましょう。
他人に夢や希望を被せて一喜一憂するよりも
自分自身の夢や希望を持ち続けてる方がずっといいし
食べていくための仕事がどうであれ、
自分の人生を生きていくことが何よりだと思います。
そして、好きなことは多いほうがいいかな(#^^#)
たくさんの逃げ道を用意しておけば
それだけ生きるのが楽になりますよ。
今がどうであれ、大丈夫。