風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

雨です

家にいるのが苦にならない雨。

 

最近、体調が良かろうが悪かろうが安定している。

考えてみると、思春期からホルモンが及ぼす影響に振り回され続けてきた。

出産して産後鬱も経験して、すったもんだを繰り返して

自分が安定する人間だとも思えなかった。

 

自分が男だったらと幼い頃から夢見たけれど

それは安定した精神を求めていたからだと思う。

 

家族のことでいっぱいいっぱいだった時もストレス満載で

それこそ学校の役員を(子どもが不登校にも関わらず)することになり

半べそ書きながらやってたこともあったのに

今では、地域の役員すら平気でできる気がしている。

仕事で土日出勤もあり得るのに、だ。

 

人は変われる、というのではなく

環境が人を変えるのだと私は思っている。

そこには体力などの問題も含まれている。

育ってきた環境を変えるか変えないか。

それがその人となりを変えるか変えないかなのかもしれない。

お釈迦様が家を飛び出して悟りを開いたように、だ。

 

同じ人を周りに配置し続けると、自分への評価も固定し続ける。

自分自身への思い込みも強化される。

親子が離れたほうがいいのも、その辺だと私は思う。

子どもへの評価が固定すると、子ども自身もまた、固まってしまうからだ。

 

可能性を広げるのであれば、住処を変えるのは有効であると私は思う。

 

しかし、自分への評価を固定したい人たちは

安定した家と集団生活を望み、他者が変化するのを恐れる。

でもそれが、人間という集団にとって有利に働いてきたのであれば

そうなんだろうけれど

排除やいじめを生んでしまうので、私は好きではない。

 

物事は変化する、と、常に宗教的な人物が言うのは

人間自身が変化するものであるにも関わらず

変化を許さないとする思考に走りがちだからではないだろうか。

 

先日、カウンセラーの資格があって占いしてるらしい人から

私生活をいちいち指示されて鬱陶しいという案件を耳にして

安易なカウンセラー資格の罪深さにくらくらしてしまう。

私が何かを言える立場ではないのだけれど

他人の感情や生活に口出すことを善と思ってる人が

占いやらカウンセリング界隈に来るのを防げないもんだろうかと

やっぱり思ってしまう。

 

自分がいいと思うものを相手に勧める時には

信頼関係やユーモアが必須だと思うんだけど

なぜか「これやめなさい」などと禁止事項を押し付けてくることが多いみたいで

けどその前にまず、自分自身が相手にその話をして信じてもらえる人間にならなきゃ

まったく意味をなさないと思っていて

その前提を欠いて(カウンセラーと言えば信じてもらえると思ってるなど)しまっているところがもう、痛いとしか言いようがない。

 

決めつけはカウンセラーや占い師の仕事ではないと思うんだけどどうなの。

 

そしてそれはやがて支配と依存を生むので、結局依存する人を増やしているだけ(つまり良くするどころか悪化させてるだけ)になり・・・え??ってなりません?

 

言い切り系の人たちを信じてしまう問題もあるけど

言い切りを良しとしているメディアの問題でもあるのかもしれない。

 

結局、言い切り系の人たちの話って、全部誰かの受け売りでしかなくて

自立しているわけでもないし、自分で考えているわけでもない。

だから、言い切ってしまえる(自分の責任じゃないから)のではないか。

 

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では、自分の試験勉強に戻ります。