風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

まねーって

12月とは思えない秋っぽい一日でした。

平日なので、公園もがらがらで

気持ちよく散歩をしてきました。

 

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30代を、成育歴で傷ついた人と共に過ごしてきました。

色んな人を見て、自分を見直して

どう生きるのが幸せになるんだろうと考えていました。

 

その私が今いる場所は

大きな会社で、困ったことにも出会わず(私生活は知らないけど)

安定したお給料に守られてきた女性たちが上司になっているところ。

 

いわゆるエリートと言ったらいいのか。

実力も体力も運も縁もあって、老後の体力もありそう。

これまで観てきた世界とのギャップと、その人たちのあまりにも素直な心に

驚きつつ、このギャップこそが、理解を阻害する部分なのかもしれないと思っています。

 

人の苦労を「想像するしかない」「話を聞いて経験した気になるしかない」

というのは、どういうことなんだろうなと。

 

そしてまた、それとは別に。

お金に対する欲を隠さない部分に

逆に純粋さを感じています。

 

少し苦労や辛いことを経験すると

「人生はお金じゃない」とか「欲を持つことが問題だ」みたいな

精神論に傾いてしまうことがあって

変に人間の欲望そのものを否定してしまうことがままあります。

 

その理想論は立派でいいものかもしれないけれど

それを口にしている人たちの顔が幸せそうでなかったり

行動がおかしかったりするのもまた、私は見てきました。

 

私は、今、欲望を抑えずに生きています。

抑えない、という意味すらたぶん、他の人とは違うと思う。

 

今の日本では、お金と性の話をするのはタブーになっています。

私はテレビを見ないのですが、また不倫騒動でやかましいとTwitterで見ました。

私は、性の世界も覗いたし、お金の世界に身を置くようになったんだけど

自分のその欲をきちんと認めて、もがきながらもその欲に忠実に生きている人たちのほうが、抑えた挙句に他人を裁いてしまう人よりずっと好ましく見えます。

 

お金の話も性の話も、照れたり隠したり、恥ずかしがったり、罪悪感に駆られたりせずに、ストレートに語れる人はかっこいい。

自分を愛していないとできないことですから。

 

私の実家は、お金の話をタブーにしていたわりに

めちゃくちゃケチだったし、意地汚かった。

だから私は実家が嫌いでした。

 

お金に向き合ってなかった。

 

性についてはここでは書かないけれど、

それも色々あったのに、隠すように、恥であるかのように

本当は興味あるくせに、語るのを避けて。自分たちだけは美しいみたいに振る舞ってるってところが嫌だった。

 

私は昔、お金と性の話をしないで

人の相談に乗れると思ってたんですよね。

傲慢でしたよね、今思うと。

 

だけど、大学を卒業してすぐカウンセラーとかやっちゃう資格で仕事するタイプのカウンセラーってそうなるんじゃない?

経験も積んでないし。

 

人の悩みのほとんどはお金と性の悩みなのにね。

 

親との葛藤もそう。母親の娘への嫉妬や、父親が息子を疎ましく思う気持ち。

宗教や精神論で解決しようとする人もいるけど

はっきり言って、もっとなまなましい話であって、

感謝で解決できることなんて一握りじゃないかな、と今は思います。

 

自分を満たす、愛するってことは

自分の中にある、お金や性への嫌悪感、もっとも嫌っているものとの対峙が必要で

「いや、そんなこと考えたこともないし」ってことが一番の原因かもしれない。

 

だって自分の心にすら浮上しないほど押し殺したものがあるということだからです。

 

だから、簡単にお金を払って解決してもらえる気がしたり(自分はお金に向き合わなくて済む)、疑似恋愛を教祖としてみたりするんじゃないだろうか。

 

毎日毎日お金の話をする仕事に就いてみて思ったのは

「どうしてこんなものに抵抗があったんだろう」ってことです。

怖いと思ってたなあ。

 

どんなセラピーより、この仕事に就いたことでお金に対する「ブロック(今もこの言葉使ってる人いるの?w)」が取れたみたいですよ。

 

精神世界系の人たちの、お金に対する意地汚さったら、まあ、宗教団体を見ればお察し案件だと思いますけど、

それに比べて、毎日お金の話をしている人のクリーンなこと。

 

欲を感じないです。周りから。

 

精神世界系のロハス系の人たちの中にいた時に感じた

なんとも言えない「お金」に対する執着心が視えない。

 

セックスを汚いもののように語る母親たちから感じる「必死で抑えてる感じ」と「性に対する異常なほどの関心」は、性の世界の人たちからは全く感じないのと同じかと。

 

ちゃんと直視してそれと共に生きている人は、欲がないです。

欲を満たすことを自分でやってるからですよね。

 

お金も性も、男が独占していた。

だから、汚いものと見せかけて、女性はそこから遠ざけられた。

それだけのことです。うぶな女性たちは、それに乗せられて「美しい自分」でいることが、男に好かれる道だと信じてるけど、したたかな女性たちは、「うぶな女性たちをターゲットにして」商売してますよん。

 

知らんけど。