風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

自分を好きになるということ(の、勘違いしていたこと)

今日はお出かけ予定があるので

朝から元気に動いています!晴れた!

 

昔の話をすると、私は「私には愛が足りない」と常に思っていて

自分を好きになることが最重要課題となっていました。

顔は嫌いだし性格も嫌いだし、何から何まで嫌でした。

そこで、鏡を見て自分に暗示をかけるところから始めたわけです。

 

引き寄せのノウハウの中で「モテるようになる」っていうのがあるけど

顔を変えるのは比較的簡単じゃないかなと思いますよ。

鏡を見て呪文を唱えてるだけで、けっこうすぐに、マンションの子どもから「かわいい」って言われたので(笑)これ、実話です。

 

それはともかく。

 

そうやって自分自身を「良いイメージ委で満たす」ことが自分を好きになることだと思ってやってきました。

 

ところがです。

最近になって、ようやく腑に落ちたことは

それでは足りない、というか、それではたどり着けないところがある。

 

なぜなら、自分自身のマイナスイメージを好きになることが残っているからです。

ここ、自分でももっとも抵抗がありましたし、今でもまだあると思うけど。

それも、例えば「本当の自分に気づく」とかあるじゃないですか。

例に出してある人や出来事って、「美しい自分に気づく」だったりしませんか?

 

いやいや、そうじゃなくてさ。

私の場合は、めちゃくちゃ蛾の強い自分が出てきたんですよね。

必死でコーティングされていたものが剥がれ落ちた。

でもそれがなぜ出て来なかったかというと。

いわゆるコーチング的なことをしようとする人って、「私の目の前で剥がしてやるぞ」と待ち構えているわけですよ。

でも、どう考えても、その人を信頼できないし、信用できる関係に至っていない。

恋人でも親友でもない、一生その人が私を守ってくれるわけでもないし、何かあったら味方になって飛んできてくれるわけでもない。

そんなお金を払っただけの人の前で「さらけ出すこと」ができたら、それはもう、そんなもん、どこでだって剥がせるわけです。

そんな簡単なもんじゃない。

 

防御するのは当たり前だし、そんな人に自分を見せてたまるかと思うのが普通です。

 

誰かに自分をそこまで簡単に売り渡して自分が傷ついても、誰も責任取ってくれないって。

 

それをまたプライドが高いだのなんだのと言ってくる人もいて、うんざりしてました。

 

私が、自分を好きになって、やっと自分の本音を出せるようになってきたのは

やっぱり仕事仲間の中でだったし、彼女たちは信頼に足る人たちでした。

ずかずかと心の中に入って来ることもなく、適度に距離を保ってくれて安全。

人間的にバランスの取れた人たちの中にいることで、ようやく自分を出せるようになったのでした。

 

わざわざ大金を払って安心のできない場所にいたこともある私は、お金を払わずに、しかも、私も技術と知識を相手に与えることができる場所で、自分が出せるなんて思ってもみなかったし、それがとても幸せでした。

彼女たちが私を信頼してくれていたこともとても大きかったです。

 

そういう期間を過ごした後、自分を再度振り返る時間ができました。←NOW!

 

するとね、心の奥底で思っていたドロドロした自分が出てきてくれて

私もそれをすっと受け取ることができるのです。

野心みたいなものかな。

愛とか奉仕なんてまったくない世界。

そうかそうか、そう思ってたのか、そうだよな、そう思うよね、と

そんな自分をとても愛らしいと思いましたし、やっと出会えたと思いました。

 

私が作ってきた「場」というのは、とにかく飾らないことがセオリーで。

みんな来ては泣いて、泣いては笑っていきました。

私にとって、それがもっとも大切でした。

 

隣の芝生を青く見てるよね、と私に言った人がいますけれど

その人自身が「誰の何を羨ましがってるか」は言わないわけですよ。

人に気づかせたいなら、自分が持ってる「青い芝」について語ってくれなくちゃ

対等ではないし、その人には気づかされることはないんです。

 

今は、わたしは、素敵な結婚生活も味わったし、子どもも生んだし

それがどれだけ奇跡的なことだったか知っています。

だけど、別の面で、誰かを羨ましいと思うことは普通にある。

誰もがそうだと思います。だとしたら、「わたしは、誰かのこういう部分が羨ましいと思ってるんだよ、あなたのことも羨ましいと思うよ。隣の芝は青いんだよ」と言ってくれたらわかる。私には、それで伝わる。

 

自分は誰も何も羨ましくありません、と澄ました顔をした人に

「隣の芝は青いっていうでしょ」と言われたって何も響かないんだよな。

 

カウンセリングやセラピーを(専門家としてでなく、訓練せずに)やってる人たちは

自分がクライアントより「できてる風」をしたいかしらんけど

絶対に自分の弱みを見せないで、相手の弱みを引き出そうとするんだよね。

だから、反発を生むんでしょ。

 

それで、どうやって自分を好きになれるんだよ、って私は思います。

 

強がってる人は特にそう。

自分を開示してくれる人にしか心を開けない。

自分の弱さを見せても、態度が変わらないという信頼関係がない人にしか心を開かない。

それがわからないカウンセラーなんて、カウンセラーじゃないんだけどな。

 

まあ、それはともかくとして。

 

自分を好きになるということは

弱さを好きになること。

それが例えば「誰かを〇したい」と思うことであってもいいんです。

思うだけは自由だし、その「想い」は封印されたままになるとヤバい。

 

想いを自分の中に出して、認めて、「じゃあどうする?」というまな板の上に置いてあげないと。

 

本当の人生はそこからだと私は思うんですけど、どうかな?

 

今の私は、「力が欲しい」です。

今の自分は全然ダメだって思ってる。

でもそれでいいんだな。ここから自分を奮い立たせて生きていくから。

 

毎日毎日脱力するニュースばかり聴こえてくるけれど

耳を塞がないで、ごまかさないで、でも、引っ張られないで

自分の人生を生きていきましょう。

 

今は生き延びることです。

 

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