自分を好きになるということ(の、勘違いしていたこと)
今日はお出かけ予定があるので
朝から元気に動いています!晴れた!
昔の話をすると、私は「私には愛が足りない」と常に思っていて
自分を好きになることが最重要課題となっていました。
顔は嫌いだし性格も嫌いだし、何から何まで嫌でした。
そこで、鏡を見て自分に暗示をかけるところから始めたわけです。
引き寄せのノウハウの中で「モテるようになる」っていうのがあるけど
顔を変えるのは比較的簡単じゃないかなと思いますよ。
鏡を見て呪文を唱えてるだけで、けっこうすぐに、マンションの子どもから「かわいい」って言われたので(笑)これ、実話です。
それはともかく。
そうやって自分自身を「良いイメージ委で満たす」ことが自分を好きになることだと思ってやってきました。
ところがです。
最近になって、ようやく腑に落ちたことは
それでは足りない、というか、それではたどり着けないところがある。
なぜなら、自分自身のマイナスイメージを好きになることが残っているからです。
ここ、自分でももっとも抵抗がありましたし、今でもまだあると思うけど。
それも、例えば「本当の自分に気づく」とかあるじゃないですか。
例に出してある人や出来事って、「美しい自分に気づく」だったりしませんか?
いやいや、そうじゃなくてさ。
私の場合は、めちゃくちゃ蛾の強い自分が出てきたんですよね。
必死でコーティングされていたものが剥がれ落ちた。
でもそれがなぜ出て来なかったかというと。
いわゆるコーチング的なことをしようとする人って、「私の目の前で剥がしてやるぞ」と待ち構えているわけですよ。
でも、どう考えても、その人を信頼できないし、信用できる関係に至っていない。
恋人でも親友でもない、一生その人が私を守ってくれるわけでもないし、何かあったら味方になって飛んできてくれるわけでもない。
そんなお金を払っただけの人の前で「さらけ出すこと」ができたら、それはもう、そんなもん、どこでだって剥がせるわけです。
そんな簡単なもんじゃない。
防御するのは当たり前だし、そんな人に自分を見せてたまるかと思うのが普通です。
誰かに自分をそこまで簡単に売り渡して自分が傷ついても、誰も責任取ってくれないって。
それをまたプライドが高いだのなんだのと言ってくる人もいて、うんざりしてました。
私が、自分を好きになって、やっと自分の本音を出せるようになってきたのは
やっぱり仕事仲間の中でだったし、彼女たちは信頼に足る人たちでした。
ずかずかと心の中に入って来ることもなく、適度に距離を保ってくれて安全。
人間的にバランスの取れた人たちの中にいることで、ようやく自分を出せるようになったのでした。
わざわざ大金を払って安心のできない場所にいたこともある私は、お金を払わずに、しかも、私も技術と知識を相手に与えることができる場所で、自分が出せるなんて思ってもみなかったし、それがとても幸せでした。
彼女たちが私を信頼してくれていたこともとても大きかったです。
そういう期間を過ごした後、自分を再度振り返る時間ができました。←NOW!
するとね、心の奥底で思っていたドロドロした自分が出てきてくれて
私もそれをすっと受け取ることができるのです。
野心みたいなものかな。
愛とか奉仕なんてまったくない世界。
そうかそうか、そう思ってたのか、そうだよな、そう思うよね、と
そんな自分をとても愛らしいと思いましたし、やっと出会えたと思いました。
私が作ってきた「場」というのは、とにかく飾らないことがセオリーで。
みんな来ては泣いて、泣いては笑っていきました。
私にとって、それがもっとも大切でした。
隣の芝生を青く見てるよね、と私に言った人がいますけれど
その人自身が「誰の何を羨ましがってるか」は言わないわけですよ。
人に気づかせたいなら、自分が持ってる「青い芝」について語ってくれなくちゃ
対等ではないし、その人には気づかされることはないんです。
今は、わたしは、素敵な結婚生活も味わったし、子どもも生んだし
それがどれだけ奇跡的なことだったか知っています。
だけど、別の面で、誰かを羨ましいと思うことは普通にある。
誰もがそうだと思います。だとしたら、「わたしは、誰かのこういう部分が羨ましいと思ってるんだよ、あなたのことも羨ましいと思うよ。隣の芝は青いんだよ」と言ってくれたらわかる。私には、それで伝わる。
自分は誰も何も羨ましくありません、と澄ました顔をした人に
「隣の芝は青いっていうでしょ」と言われたって何も響かないんだよな。
カウンセリングやセラピーを(専門家としてでなく、訓練せずに)やってる人たちは
自分がクライアントより「できてる風」をしたいかしらんけど
絶対に自分の弱みを見せないで、相手の弱みを引き出そうとするんだよね。
だから、反発を生むんでしょ。
それで、どうやって自分を好きになれるんだよ、って私は思います。
強がってる人は特にそう。
自分を開示してくれる人にしか心を開けない。
自分の弱さを見せても、態度が変わらないという信頼関係がない人にしか心を開かない。
それがわからないカウンセラーなんて、カウンセラーじゃないんだけどな。
まあ、それはともかくとして。
自分を好きになるということは
弱さを好きになること。
それが例えば「誰かを〇したい」と思うことであってもいいんです。
思うだけは自由だし、その「想い」は封印されたままになるとヤバい。
想いを自分の中に出して、認めて、「じゃあどうする?」というまな板の上に置いてあげないと。
本当の人生はそこからだと私は思うんですけど、どうかな?
今の私は、「力が欲しい」です。
今の自分は全然ダメだって思ってる。
でもそれでいいんだな。ここから自分を奮い立たせて生きていくから。
毎日毎日脱力するニュースばかり聴こえてくるけれど
耳を塞がないで、ごまかさないで、でも、引っ張られないで
自分の人生を生きていきましょう。
今は生き延びることです。