強迫は嫌だと思う
コロナと寒さで気持ちが滅入っていませんか?
こういう時こそ、自分を労わって
温かい飲み物と、暖かい毛布にくるまって春を待ちたいですね。
いつのまにか2月になりました。
ブログを書く元気もなくなって
体育会系の仕事に就いてしまったことを時々後悔しつつ
時々は自分の得意なことで仕事ができる喜びもあり
慣れるまではもう少し我慢が必要なようです。
体育会系の部活や仕事に対して批判的であるのは変わりませんが
そこで順応してしまう人、できてしまう人、というのは
そもそも「先輩や団体の在り方」がどうであれ、
自分の実力がある人なのだなというのがわかりました。
体育会系の理不尽ないじめられ方をしても、実力があれば跳ね返せるんです。
だから、「鍛えられたから上達した」んじゃなくて、そもそも力があったから
そういうところでも耐えられた、ということなんだと思います。
または、虐める側にまわる能力はあったとか(笑)
だから、合わない人は逃げればいいと思うし、自分の力が発揮できる場所に行ったほうが幸せだと思いますやっぱり。
さて。
相変わらずスピと玄米菜食系の話の親和性は高く
白砂糖をやめようだとか、アドバイスする人は後を絶ちません。
私は、実験として玄米生活もしたし、肉を食べない生活もしたし
電子レンジに至っては10年以上も使いませんでした(子育ての間ほとんど)。
それはそれで健康な生活でしたが、幸せだったかと問われると
う~ん、それはあまり実感できなかったかな、というところです。
スピ系の人は、食生活を整えないと幸せになれないぞと脅してきます。
けどさ、幸せってそういうことじゃない。
健康は大事。私も常に貧血だの、脚の痛みだのに付き合ってきてるので
これさえなければもっといろいろなことにチャレンジできるのになと思ったことも
何度もあります。
けれど、そこそこの健康オタクになってしまったのに(笑)
なぜか、身体は順調じゃないけど心は幸せ、という生活をしています。
趣味で玄米を食べてみたり、白砂糖を使わないお菓子をせっせと作ってみたり
それはとても楽しいことで、わくわくする実験でした。
でもそれが、人間として「そうあらねばならない」という強迫になったら
そういう意見の人と出会ったら、私は逃げますし、その趣味を捨てます。
わかるでしょうか?
健康にせよ、仕事にせよ、勉強にせよ
「これがあるべき姿」「あなたの今は間違ってる」なんて言われて誰が嬉しいですか?
自然派やスピに関わる人たちの中には
どこか「人より善でありたい」人が多く見られますし
自分自身が「最高の人間」を目指すあまり、他人に対して必要以上に指導(と言う名の強迫)をされてしまう人が見られます。
私はそれもわかるのです。
だけど、私の場合、それを個人の責任だけにしてしまうのは違うと思っていて
例えば、自分が玄米弁当を作って売る、とかならわかるんですよね。
選ぶのはひとりひとりであって、「指導されるべき人間」なんてどこにもいないと
私は思う。
「ひとりひとりが変われば」と言いながら啓蒙というより強迫していく感じって嫌だなと思っていて。
そして、それはまさに、自分自身を権力化してしまうことではないのかと思うわけです。
誰もが、自分自身に力を感じたいんですよ。
誰かの力に従いたくないという気持ちがある。
「正しいこと」=「受け入れられること」じゃないのは、その辺りだと私は思っています。
ただ、その落とし穴があって
それは加害者が「正しいことを強制されたくない」と言ってしまうことです。
長くなるので今日はこの辺で。
人間が人間を「正してやる」っていう気持ち、ちょっと怖いんだよね。
それは学校でも家庭でも感じたし
そんなことを強く言う人ほど、優しくない。困った人を助ける仕組みを考えようとする気がないし、突き放すし。
それぞれの背景に想像が及ぶ人でありたい。
写真撮りに行きたいな。