被害者意識とかいうもの
こんばんは。
鍼灸に行って視野が広くなりました。
びっくりです。人間って現状に慣れるから、広くなって初めて「狭くなってたこと」に気づくんだね!
ホテルの近くにとらやがありましてね。
気付いたのが帰る直前で、しかも喫茶は終わってました。
帰って息子に報告したら「へ~別に東京でとらや行かんでも」以上(笑)
いやほんまにね。
東京でオシャレなお店でお土産にしようと手に取ったクッキーが
「大阪市○○区・・・」すぐに棚に戻しましたよ!大阪で買えるしなww
大阪で事足ります。
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昨今流行の「被害者意識」というやつ、曲者ですよ。
「自分の意識を変えたらいい」を言い換えるとそうなるらしい。
しかしね。
どんな宗教も、加害者を「罰するな」とは書いてないわけです。
わかります?
相手に傷つけられた事実を「なかったことにせよ」などと書いている経典もないはずです。
それが今のスピでは「被害者意識を持ったままは苦しいでしょ、加害者なんていないのよ」と言ってます。違和感を感じていましたが、いくらかの真実も混じっているので(これって、オーガニックと言いながら、基準ぎりぎりまで農薬入れてるのと似てるよね)自分の考えに自信が持てませんでした。
現実に起きた悲劇と、それを被害者自身がどう乗り越えていくかは、全く別の話です。
暴力を振るえば、警察に連絡されて罰を受ける。みなから非難される。これが人間世界がつくったきまりです。
加害者やりたい放題、何をしても、被害を受ける人が問題だ、被害者意識のままで生きるなと言えば、やりたい放題ですよ。
そういう勘違いをさせないように、キリストもブッダも、神様と呼ばれるようになった人物は、言葉を選んだだろうと私は推測します。
ひとりひとりがどのような意識で生きていくかの話と
加害者が加害を認め、謝り、罪を償うという一連の流れとは、全く違うのです。
それをごっちゃにして、被害を受けた人に対してとても失礼なアドバイスをするのが「被害者意識のまま生きてたら苦しいでしょ」という、なんの想像力ももたない、悲しい人たちだなと私は思います。
とても言語化できないことを、無理やり言語化しようとして(自分の実力を見誤って)他人に対して「言ってしまう」ことの罪。
相手の現状に合わせて言葉を選ばなければならないのに、自分が知っていることを一律に語ってしまう罪。
それを背負うのも相談を受ける人なのだとは思うけれど
ちょっと最近、目に余る気がして、書いてみました。
いわゆるお節介おばさんたちが「いじめを受けたの?気にしなきゃいいのに」とか「旦那さん、お金入れてくるんでしょ。それぐらい我慢なさいよ」とか言ってたのを
スピの用語を使って正当化したのが、「被害者意識で生きてるのって苦しいよね」だと私は思いますよ。
言ってることおんなじ。
頭の中、きっとおんなじ。
辛い人をさらに突き落とす凶器になる言葉ですよ。
気を付けて使うのがよろしいかと思います。
私も、何気にひどいこと言われっぱなしだとか、暴言を訴えても「あなたが何かしたの?と疑われたりとか、散々な目に遭ってきました。
今でもそれを「許す」ことなどできないです。謝れよ、と思ってます。
ただ、少し強くなったし、言われなくなったし、その人たちと関わらないようにすることもできるし、考えない時間も増えました。
いつか、遠い記憶の彼方に行ってしまうかもしれません。
囚われなくなったのは幸せと言えるかもしれません。
でもそれを、他人から「忘れないあなたが間違ってる」とか「いつまでも被害者ぶってる」とか言われたら超腹立ちますよ。怒りますよ。
そういう当たり前の感覚を忘れちゃいけないです。
相手の悲しみに寄り添えない人に、何ができるのだろう。
どんな段階の人にも通じる言葉で話したいよね。
不忍池のあひるさんたち。かわいい。。