風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

言葉は使いよう

十日戎の福笹ゲット!今年の仕事が一つ終わりましたwww

昔1000円だったのに、今2500円。そんな値上がりする?

神社も色々ですな。

 

FBで今日はがおがお吠えておりました。

以前から違和感と腹立ちを感じていたあることに、やっと言葉が見つかったんです。

セミナー(色々あるけど、今はだいたいどれも同じで面白くもなんともない)で聞いてきたのか、スピ本を読んだのか知らないけれど、「同じフレーズ」「同じ言葉」を言う人が増えました。まるでお経みたいに、そのお題目さえ唱えていれば、他人の努力も何もかもディスれる最強の言葉です。

 

あれ、ほらあれ。

「ありがとう」「感謝」「選んで生まれてきた」「タイミングがそうだったから」「幸せにならなければ人を救えない」・・・まだまだあるぞ~~~。

 

はっきりいってお腹いっぱいです。

 

本を読んできていない人たちは、簡単に言葉を信じてしまう。

言葉をイメージでとらえて、他人にもそのイメージを強制しようとする。

プラシーボがあるから、言葉に影響を受けて人生が「よくなった」と感じることはたしかにあるかもしれない。

でも、その「言葉」で他人を操作しようとしたらあかんよね。それ、自分専用のお薬やで?

 

Twitterで話題になってる「の○○」さんとか「こ○○」さんとか。

個人的なお付き合いの中で言うならともかく、公の場で言うことではないのでは?という表現が多いです。

叩かれても気にしないスタンスとか、信者が擁護する姿も、あまり素敵ではないです。

 

そういう男が好きなのか~残念ね~お気の毒ね~って思うだけですけど。

世の中には、人を救える知性をもっているメンズがもっとたくさんいるってのに、目に入らないのね。

 

言葉を操って惑わすのが商売なんだろうけど、それにつられて、まるでお人形のようにその人の言葉を繰り返し、カウンセラーでもないのに、したり顔で説教する人たちが後を絶たなくなってしまいました。昔のおせっかいおばさんのほうがずっとマシです。

 

「あなた、結婚なさったら?結婚が幸せよ」と今なら蹴ってしまえるくらいのおばさまの言葉ならともかく、今はこうです。「今のままじゃ、男性と知り会えないよ、愛と感謝の心で生きてる?親のこと許してる?世界はパラレルワールドなの。あなたが変われば世界は変わるの。どっちを選ぶかなのよ。そのままでいいの?幸せにならないと誰も幸せにできないわ。あなたなら、今選びなおせばきっと素敵な人と知り合えるわよ」・・・反論しづらい・・・

いっぱい突っ込みどころありますけどね。まあ、そういうのが、今の風潮です。

めんどくさいわ、いいこと言ってるわりに人のことを軽くディスってるわ、これですわ!

 

 

自分で頭使え、自分で考えて言葉選べ、人の言葉を借りて気持ちよくなってんじゃね~~~~!!!((*´Д`)ハァハァ・・・

 

いやね、本当にその人が幸せなら、そいういうことは言わんのですよ。

一緒にご飯行こうとか、遊ぼうって誘うでしょ?

それが人を助けることですよ。

言葉で自分が気持ちよくなるために、相手を不幸に見下げて喜んでるだけやん。

あら、言い過ぎかしら?

 

ずっと前にこういうことがあったんです。

私がブログで尊敬している人のお弟子さんていうから、どういうことを言われるんだろうと思って出かけました。

その頃は、働き始めだったかな。だから、自己紹介で言えることって「不登校支援したいです」みたいなことになるよね。

そしたら「幸せになってない人が人を助けられない」というお説教が、なんにも聞かずに始まっちゃってね。「私が知ってる不登校の子どもは誰も不幸じゃない、あなたがそういう困った親を引き寄せてるんだ」とかなんとか、もう滔々とお話しされるの。

で、途中で「いや、わたしの子どもが不登校だったので」と言うと手のひらを返したような態度に変わって「あ、それはいいことをされるんですね」みたいになったな。

あ~もうだめだ~信用できん~と逃げ出した。お金返してほしかった。

 

人の話を全く聞かず、背景も知らず、「支援活動をする人はこういうもんだ」という決めつけだけでカウンセリングの旗を揚げているんだと思って、二度とその人には会わないし、誰にも紹介しないし、なんなら「そこだけはやめときや」って言おうと思いましたよ。

 

でも、どうもその人だけがおかしいわけではなくて、どうも、世間全体がおかしいらしいんです。

 

久しぶりに「まともな言葉の使い方」をツイッターで見たのですが

それは、「子どもを保育園に入れられず、その日家にいられなくて外に出たら、近所の女性が子どもを預かってくれた。その時に”お母さんが幸せにならないとね”と言ってくれた」というもの。←あいまいだなあ、また見つけたらアップします。

 

本当に大変そうな人を見かけた時、さっと手助けして「幸せにならなきゃね」と言うのが「親が幸せになって子どもを幸せにしてあげて」という願いの普通の当たり前の、使い方ですよ。

 

子どもの不登校をネタにして「お母さんがトラウマを癒し切ってないから、幸せじゃないから、子どもを幸せにできていないんじゃないの?あなたなんかに人を救えるはずないじゃないの」という使い方は、人を呪うだけです。人を呪わば穴ふたつ。

 

自分ではいいことをおっしゃってるつもりでしょうが、明らかに人に呪いをかけている。それこそ、あなたのお母さんにやられてきたのね、と私はすぐに見抜けますけどねwww

 

自分のことは自分でわからないんですね。

 

人を幸せにできる言葉をつかいたいよね。

人を呪う言葉にするのは簡単だけど。

 

学校に出入りしていると、それこそ教師が児童に脅しているシーンをよく目撃します。今、スピ系の人たちが脅しているような言い方です。

ああ、これ、学校で学んだことだなと。

児童のためを思って注意しているつもり、怒ってないつもり、わからせてやってるつもり・・・・外から見たら脅しですけどね。

 

親子関係、先生との関係を、結局クライアントと繰り返してる。無意識に。

それでも自分は癒された、幸せだと言い張ってる。

罪な話です。そして、その罪はいつか還ってくるんじゃ・・・あ。脅しちゃったw

 

そして、もうひとつ。

幸せだからって人は人を救えないよ。

余裕がある生活をしていて、自分でも不足はないと言ってても

暇だから働こうかな~ぐらいで、誰かを助けたりしてない人のほうが多いと思う。

それより、自分が不足に自覚的で、まだ癒されてなくても、冷静に頭脳を使って、勉強して人を救っている人はたくさんいるの。

 

「幸せ」は人を救う必要条件でもないし、結婚できる条件でもないよ。

不幸に思えるできごとなんて、人生に何度でもくるよ。

そのたびに、「あなたは人を救えない」の呪いをかけられたらたまらんやんか。

 

誰かの行動を止めようとしたり、がんじがらめにする言葉を使う人は要注意。

耳と心に入れたらだめですよ。

 

愛・感謝・潜在意識・無意識・幸せ・不幸・トラウマ・ブロック・キラキラ・わくわく・・・これらの言葉をどう使ってくるか。見極めてね。

言ってる人が、自分をまったく見てなくて、ただ理屈としてその言葉を使ってるなあと思ったら引いてよし。自分の中にきちんと入れて使ってる人は、まるでロボットのようなセリフは使わない。

そして「選ぶか選ばないかは自由(だけど、こっちに来なきゃ嫌な人生になるってわかるよね)」←これはネットワークビジネスでよく使われてるんじゃないかな。。。という脅しがない人を選ぶ。

人生に寄り添ってくれる人は、待ってくれるし、本当に選ばせてくれる。

 

心理学がブームになって、言葉が独り歩きして、勝手に人を「あの人ってトラウマがあるからさあ」「メンヘラだからさ」と診断して喜ぶ人が増えました。

どこまで行くのでしょうね。