すべては何かにつながっている
久しぶりに軽いうつ状態に陥っていました。
散々やってるんだけど、慣れない(笑)
というか、そもそも体調が悪いと精神力低下しますね。
だから、鬱な気がするなら、まずは寝ろ!と私は言います。
体力の回復が第一ですし
そもそも、身体の不調を精神の不調と勘違いする脳を私たちは持っていますから
心ばかりに注目してもどうにもならないことがあるんですよね。
運動と睡眠、そして食事はとても大切です。
心の不調を感じたら、そちらも大事にしましょう(#^^#)
おいしいパフェでもどうぞ!
私たちは、時に「これはいい」「これは悪い」と判断します。
「ここ二三年を無事に生き抜くために」です。
でも、不思議なことに、もっともっと大きな出来事のために「今の悪いこと」が起きているとも考えられるんです。
私がいつも例に出すんですけど。
瀬戸内寂聴さんは、壮絶な恋愛をされてきたからこそ、出家の道を選ばれて、著作も素晴らしく、人の心を打つお話をなされるのだと思うのです。
普通に結婚して、道を外さず、子どもを産んで・・・という人生なら、ここまでお寺と女性たちを結ぶこともなかったのではないでしょうか。
そう考えてみると、ある人が「今、悪く見えること」にハマっていたとしても、それがどういう神の計らいなのかは、人間にはわからないのですよね。
「正してあげなくちゃ」と思う気持ちが湧いてきても、本当にそれがその人のためなのかどうか、そして、正してあげたとしてその人が幸せになるのかどうかは、私には疑問なんです。
お釈迦さまも実家を飛び出した。キリストは殺されることになった。
その時々で「世間的に」「常識的に」見れば「決して正しくないこと」をしますよね。
ある本によると、仏教の戒律が厳しいのは、世間にこの宗教を受け入れてもらうためには、弟子を統率しないとダメだったから、という話です。
つまり、厳しい戒律は「後付け」であって、それが釈迦のそもそもの教えではなかったということ。
「すべてを捨てて出家する」のが本来の在り方。親兄弟を捨てるものであり、そもそも「家族団らん」とは程遠いものですよ。儒教とは違うんです。
集団を重視しない宗教は、社会から敵視されますから、それなりの体裁は必要だったのかなあ、それはとても納得のいく話だなとわたしは勝手に思いました。
時々私を襲ってくる思考の中に、「どんな成育歴があっても、毒親でも、子どもが不登校でもなく、引きこもりもなく、それなりに立派になってる家庭はあるのに、どうしてうちは・・・」というのがあります。
(→ここ、あれこれ言いたい人は直接言ってねw)
でもね、自分勝手かもしれないけど。とても大変な子育てをして、今も大変な状況にあるからこそ、どこででも、誰でも、私に心を開いてくれます。
「うちも、子どもが結婚しなくてずっと家にいるんですよ」と。
もし、有名大学の息子たちばかりなら、私に悩みを打ち明けてくれる人はあまりいなかったと思いますし、私も「え?あなたが問題なんじゃないの?」で済ませていたと思うんです。
「分かり合える素地」があるのとないのとでは、全然違います。
まあ、私のこの苦労が全部、そういう為のものってのも、たいがい悔しいですよ(笑)
ある人に「あなたが今、お金に困るのも、お金が困ってる人の気持ちがわからないとダメだからですよ」と言われたことがあって、「いや、気持ちわからなくていいから、お金に困りたくないから」って正直思います。ね?思うよね?
けれど、人はみな、理由があって「そういうこと」になってるんだろうな、ということが私にはおぼろげにわかるようになりました。
だから、無闇に否定したり批判したりするのではなく、自分に刃が向けられていない以上、きちんと話を聴くのが筋だろうと私は思っています。
人生を長い長いドラマだとするならば、どこでどんでん返しが起きるかわからないということ。「黒井戸殺し」のようにラスト10分でひっくり返されることだってあるかもしれない。
今の辛さは、何とか乗り越えなくてはならないものだけど
「あなたがこうだからよ!」みたいなのは違うと私は思います。
今、起きている事象を一生懸命生きること。
私たちにできることは、それだけなんじゃないかな。
だって間違ってないから。何一つ。
不平不満を抱くことも、悲しむことも、僻むことも、妬むことも、全部。
私は今朝からとってもひねくれてましたけど、そのおかげで、自分が何に引っかかっているかに気づけました。
幸せしかなかったら、気づかなかったです。
心の中で毒づきながらスタバに行って、やっと自分を取り戻したところ(*´ω`)
新しいストロベリーのやつ、おいしいよ♪
で。明日からは断捨離第二段を開始することにいたしました
わたしはわたしの道を歩くしかないみたいだから。
後悔しても仕方ないし、どうあがいても、わたしはわたしでしかないみたいだから。
これから先、どんな批判を浴びようが、何を言われようが、私を信じてくれる人と分かってくれる人と、丁寧な暮らしをしていければそれでいいと思いました。
そして、今、悩んで苦しんでいる人たちに、批判の言葉を浴びせない、ちょっとした駆け込み寺のような場所を作りたい。本があって、お茶があって、お菓子があるような。
応援してください。