怒りたかった
25歳で私の人生は大きく変わった。
それまでが甘すぎたのだ。
それにしても、急激だった。
何もしなくても、向こうから困難が飛び込んできた。
少なくとも今はそう思う。
運命を呪ってもよかった。
怒ってよかった。
地団駄踏めばよかった。
わたしは、自分を責めた。何が間違っているのかと問い続けた。
そのストレスが今もあるんだなあと薄っすらとわかってきた。
自分を守っていいこと。
怒っていいこと。
自分を悪く言う人たちをかばわなくていいこと。
運命に対していい人になろうとしていた。
まあ、途中でキレたからよかったものの(笑
何かの言いなりになる人生は終わりにする。
それはそれで楽だったけれども。
親戚が勝手に家に来て怒鳴って帰ったこと(夫が育児休暇取りたいって言ったから)や
マンションの住民が怒りをぶつけに来たこと(子どもが学校に行かなかったから)や
なんでわたしに言う?みたいなことがいっぱいあった。
ほんと、いい人だったよなあわたし_| ̄|○
それなのに・・・以下略←もう書かない。
だからね。怒っていいんだと思うんだ、私は。
理不尽な運命が来たときは。
怒ってそれを力にすればいいと思う。
自分を責めるモードになっていいことなんてない。
自己責任を言いたがってる人の餌になるだけだよ。
相談に乗れもしないのに、相談の窓口になって「あなたが問題ですね」って言えばお金取れるような仕事があるんだよ。
っていうか、そういうものが来たときは
やり過ごすか笑い飛ばすのが一番で
相談に乗れないモノなんだと思う。
必死で乗り越えてる最中に、横から口を出すんじゃなくてさ
寄り添って、待っててあげるのが一番のやさしさじゃないだろうか。
今の私はそう思うよ。
そして、わたしは私に対して、失礼ばかりしてきたから
これからは優しくするんだ。
寄り添って待っててあげようと思う。
無理すんなよ、みんな。