違和感の正体について
おはようございます。
いいお天気の朝です。
昨日はせっせと作業をしたせいか、気持ちがようやく前向きに!
なんでもやってみるもんですね。
さて。
311の時も今回も、違和感を感じたもやもやについて
言語化してみたいと思います。がんばります。
国が大変なことになっている時。
国民が政府に対してあれこれ言うことに対して「政府に文句を言うなんて」という声が必ずあがりますよね。
私はこれにモヤモヤします。
特に、スピリチュアルなことを言ってる人たちがこれを言うともっとモヤモヤします。
どうしてかな?と思っていたら、心の中で答えが返ってきました。
「普段、権力を持ってる人が、国民を批判したり非難したり、いじめをしたり、差別したりしても、その人たちは何も言わないじゃん?どうして国民が政府に向けて発信していることにだけ、そこまで注目してあれこれ言うの?」でした。
矛盾してるんじゃないかな、と思ったんですね。
普段は、政府がわたしたち国民に対して怒ったり怒鳴ったり(権力をふるってるという意味)しているのに、その政府に対して「国民を憎まないで愛を送って欲しい」とは一度も言っていない。少なくとも、そういう声明を聞いたことはないです。
どうして、同じ人間である、「政府の中の人」に対して怒ることにだけ、そこまで敏感に反応されるのだろうか?というのは、私の中では、怒りとかじゃなくて、ただただ不思議なのです。
わたしたちは、この災厄に対して、やはり政府を信じたいと思っていますよね。
そうでなければ怒らないです。
そもそも諦めていればいいわけです。
どうせ、私たちのことなんてわかってくれない、知ってくれない、どうぞお好きに、と。
311の時もそうだったけど
政治に対して、みなが注目して、自分のできることを考えて(例えば政府に意見を送ることだけでも)発信し、行動していることは、すごいことだと思うのです。わたし個人的にですけど。
私自身、関西にいて、東北からの避難者と話をしたり、話を聞いたりしてきました。
地元で活動をしたこともあります。
自分が今、感情的になっていることを「ダメなことだ」と思わせるような発言っていうのは、日頃から私は嫌ですし、どんな時でもそれはおかしいと思うんですよ。
そして、こういう大きなことが起きている時は特に
誰かに愚痴ったり、あるいは、怒りを出してしまったりすることもあると思いますが
それは人間的にいい悪いでもなければ、悟ってる悟ってないの問題でもないと思うのです。
さらに言えば、日常において、子どもを怒鳴ったり、パートナーと言い争いをしても、「それでい~んだよ」「あなたは何も間違ってない」とか言ってるのであれば、なおさら、今政府に怒ることぐらい、なんてことないですよね。
政府はそんなことで傷ついたりしない。
私の今のスタンスはこうです。
もしかして、国民が怒ってくれることによって、ほっとしている政府の中の人がいるかもしれない。この役職を辞めたいなあ、辞めさせてくれたらいいなと心の中で思ってるのかもしれない。ということは、怒ってくれる人は、その人にとって幸いな人じゃないかな?ということ。
この世界は、誰もが何かの役目を担っていると私は思っていて
だから、当然怒る人も必要だと思っているのです。
この世界の人たちはみな、自分なのだからとも思います。
別に、政府が「今の中の人」であり続ける必要もないし。
もしかしたら政府をがらっと変えて、この日本にとって地球にとっての良き選択をさせるための、国民感情になっているのかもしれない
もう降りていいよ、という意味かも???
わたしはそのためなら、喜んで愛を送りますよ。今の政府に。
だって、人は変えられないから。あの人はああいう人であることを変えられない。
だとしたら、その人がふさわしい場所に行けばいい。
無理な仕事に無理にしがみつかなくていい。そう思いませんか?知らんけど!
今まで、「そんなことで怒るなよ」と言われてきた女性たちの怒りが
きちんと形になって、現状を変えています。
これからこの国で生きる女性たちが、少しでも楽になるとしたら
怒って行動してくれた女性たちの成果です。
わたしも未熟ではあったけれど、職場のお茶くみに対して異議申し立てをして、私は嫌われたけど、「あ、そうだな、お茶ぐらい自分で淹れるよ」と言ってくれる男性上司も現れましたよ。もう30年前ですが!
「お茶を淹れることが私の価値だから」と思ってる女性がお茶を淹れてる時には、男性だって自由にお茶飲めない(笑)
飲みたい時に飲もうよ、ね!
それはともかくとして。
変革の時。そして、私自身もそういう星の元に生まれた自覚はあるので。
どうしたって「おとなしくして」なんていられない気がします。
どの職場に行っても改善、改革してしまうし(゚∀゚)
それを最初からうまくやれる人なんていないわけですし。
失敗しながら、嫌なことを言われながら、怒られながら、私も怒りながら
学んでいくんです。
今、この地球に生きている人たちが、おそらく、初めて経験するであろう世界規模のこの災厄に対して、誰もがうまく対処できなくて当たり前です。
感情が揺らされて当たり前です。
その当たり前を自分に認めてあげてください。
どうぞ、抑圧しないでください。
そして、家族に暴力暴言を振るうより、お店に文句言うより、政府に暴言吐いたほうがいいですよ、どうしてみんながそんなに辛いのか、怒るのかを知るのも権力を持ってる人の務めですしね。お仕事です。
そこから、建設的な「できること」を探しましょう。
で、到底肯定なんてできないことが続いているんですから
その感情をどうしていくかについては、個々人で試行錯誤するしかないと思うんです。
抑圧は反動を生みますからお勧めしませんよ、わたしは。
抑圧していることを「善人になった」と勘違いさせないようにしたいです。
こういう時に、選民意識と抑圧がセットで現れることがよくあるのでね。
自分の内面に注意していきましょう。
そして、自分を許していきましょう。
どんな感情が湧いてきても、その自分を認めてよしよしして生き延びていきましょう。
愛を自分に。そして世界に。