風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

気持ちや言葉を表すことをためらうな

なんだか日本語が変。

 

Twitterがちょっとバズった?ブログのアクセス数が増えました。

読んでいただいて嬉しいです。

 

わたしは、メンタルをぼこぼこにされる(被害者意識とかって言わないでw)ことがあって、Twitterを再開してみたら、そこは天国だった。

私が言いたかった事、言ったらぼこぼこにされたことが「普通に」書かれていた。

怒るべきところで怒り、反論するところで反論していた。

ここには、私と同じ感性の人たちが住まう場所だと思った。

 

Twitterにも変な人はいるけど、言論を封じようとする人もいるけど

完璧に封じることなどできない場所なんだ。

 

わたしは長い間、スピを彷徨っていたせいで、「投影」だとか「問題は自分が作り出してる」とか、いやそれもひとつの考えだけど、そして、そのことが何を意味しているかもわかるけど、そういうスピの知識を振りかざして、他人の感情を圧迫する人たちが集うところに長くいすぎた。

 

自分が何を考え、何をいいと思い、何が好きで何が嫌いかもわからなくなるぐらい、感情を抑えようとして私の内面をかき回そうとする人たちに怒りを持ったし、その怒りが私を破壊する寸前だった。

 

成功哲学も恋愛工学も、波動も、どんなにそれが正しかろうが

理論をマウントすることに使うばかりで、

まったく楽しくない日常を作り出すことに必死になってるなあと私は感じる。

 

相談者を切って捨てるような物言い。

自分さえうまくいったから、他人もそうなるだろう、そうならなきゃおかしい、私と同じ考えになればいい・・・。

年収が高いことでそう勘違いする男性もいるし、現実問題が解決したからってどや顔になってる女性もいる。

そのたびに、私はどうしたい?何をしていきたい?と自分に問うようにはしてるけど

Twitterを見ると安心できる言葉がたくさん並んでいることに気づく。

 

上品で美しい日本語を綴っている人がいる。

私が好みの詩をアップしている人がいる。

美しい画像を見ることもできる。

私が「選んでいる」「私好みの」世界がそこにある。

 

 

今のこの、何と言ったらいいのか、批判はダメ、怒ってる人はおかしい、自分が変わらなきゃ、自分を変えようとしないのなら不平不満言うな、・・・

とにかく「成功しない人には何も言う資格がない」「うまくいってる私の言うことだけ聞いてればいい」という不自由な世界ができあがっていて

いつの間にこんなことに・・・と驚いている。

 

私が30代の頃、ACという概念が日本に来て、自助グループができて、それまでの「お節介おばちゃん」「セクハラおじさん」ばかりの日本的な村社会から、新しい風をもたらす世界が創られ始めたと思っていた。

そしてその世界が徐々に広まって、「べてる」のようなものがたくさんできるんじゃないか、そして、不登校の理解も深まって、たくさん自由な学校ができるんじゃないかとどこかで勝手に夢見ていた。

 

たしかに、フェミニズム不登校も当たり前になってきた。

だからこそ、恐怖にかられた人たちが必死になって攻撃し始めてる。

今まで弱くて、発言をひとつひとつ潰せば終わったことが終わらなくなったのだろうと思う。

専業主婦が「夫の愚痴大会にフェミニズムを使う」レベルから、本気で社会を変えたいと行動する女性たちが現れるなんて、昔は考えもしなかったんだもの。

「お茶くみはしません」と言って係長からお説教され、お局様からいじめられた30年前。今はペットボトルで接待する時代に、たしかに変わった。

 

それでも、日本の学校が生み出している「いじめ」「虐待」はなくなっていない。それどころか、企業でもいじめが見受けられるようになっている。

暴力団は嫌がられても、みなが暴力団化してしまえば、同じことじゃんね。

弱い人間が行く場所を見失う。

その上「あなたの問題はこうでしょ!」と決めつけて吐き出させないやり方が横行しているからで、そんな怖いところで、人は心の澱を置いてけない。

 

だからこそ。私たちは、その怖さを越えて、気持ちを現し、言葉にすることを止めてはいけないと思う。

嫌だ、辛い、寂しい、キツイ・・・

相手が変えられないとか、自分の気持ちの持ちようとか、言いたい人には言わしておけばいい。

 

自分のことを語れるのは自分だけだから。誰も代わってくれないから。

 

 

「こうしたら現実が変わった」と言うけれど、だからなに?ってことを忘れてる。

ただの事実だから。現実が変わったのは、魔法使いだからじゃないし、その人が特別だからでもない。そして、現実が変わらないと悩む必要もないし、相談する必要すらない。安心したかったらしてもいいけどさ。

だって、どっちが偉いわけでもないんだよ。単なる事実を見ただけじゃん。

 

「大学に合格できました」以上。と同じ。「私も合格したいですがどうしたらいいでしょう」と相談しても、自分で勉強してみて、しか正解はないよね?

合格した人と、合格しない人の人生を比べることもできないし、比べたらおかしいし、合格した人が、どんな相談にも対応できると思ってることもおかしい。自分が成功したことに限る、しかも、同じ大学で、同じ学部で、同じ成育歴で、同じような勉強ができる環境にある人になら、自分の体験が役に立つと思うけど、そこまで一緒な人いないよ?

 

 

だったら、誰にも邪魔されないで、遊びつくそうよ。

自分の人生を。

 

そして、「表現する人」になれば、分かち合えるし、他人を抑えつけなくて済むと思う。

「あなたがそんなことを思っても~他人は変えられないんだから~」と口を塞ごうとする人が出てきても「私は嫌なの」「わたしは他人やこの世界を変えてみる!」と堂々と宣言するほうがかっっけ~って私は思う。

 

「怒りはこういう風に出さないと~」って言われたって、子どもや自分より弱い人以外には、思い切って怒っていいと私は思うし、喧嘩していいと思う。いやむしろ、女性は喧嘩慣れしていいと思う。子どもにむやみに怒鳴るのは論外だよね。それこそ、自分より強い人(夫や姑や隣人、友人)からのストレスなのだったら、その強い人に立ち向かえ。

 

何をしようが正解はないし、すぐに言うでしょ「この方が、あなたの気持ちが楽になると思う」って。楽になりたい時は勝手に楽になりますってば!楽にならないことへの罪悪感を植え付けるような言葉って呪いだよ。

 

そんなところです。

 

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東京でへんなもん見つけた(笑)