結婚って~我慢?
大阪市内の駐車場、ぼったくりだ~~~
雨が降るかもと思って、車で行ったのが間違い。
晴れたし!
けど、普通に大阪市内を走れるようになりました。
疲れたので、YouTubeでハワイアンを流しております。
いいですよね。ハワイ。
結婚ってなんだろう~~~
「夫が亡くなってから元気になった年配の女性」の話はよく耳にしますよね。
昔は「おばあちゃん、我慢してたんかな、我慢しなくていい結婚生活がいいな」と思っていました。
けれど、結婚ってなんだろうとずっと考えてきて
「結婚する時に、自分の中で”この結婚はこういうものだ”と決めている自分がいるのではないか」という仮説に辿り着きました。
私の場合、「結婚することで、親と離れたい」という願いがありました。
それは、愛情とか結婚に対する憧れとは全く別の、無意識の願望でしたが、
父が亡くなり、実家と縁を切ってから、私は夫への愛情が冷めたような気がしたのです。もう、夫と一緒に居なくても、私は親と離れたからです。
それで、最初に戻ります。
「夫が亡くなってほっとして、元気になった女性」の場合。
もしかして「結婚とは私の仕事である」という無意識に決めていたとしたら。
「夫との結婚生活」=仕事なわけです。
だから、しんどくても我慢してでも続けていた。
そして、夫が亡くなった=退職なんですよね。
嫌な仕事でも、仕事ならやり遂げることは可能ですし、退職してすっきりするのも普通のことです。
今でも、結婚は自分の仕事だと決めて結婚しているのではないかと思われる女性たちは
離婚した女性に対して「どうして我慢できなかったのか」「長続きさせることができたはず」という理論をぶつけてきますよね。
「結婚」とは何か。これがひとりひとり違うんだな。
だから、話が通じなくなるのではないのかしらと思ったのです。
「家族の面倒を見続けることが結婚だ」と思い込んでいれば
どんなに文句を言ってでも、面倒を見続けるでしょうね。
だから、「結婚は仕事ではないかもしれない」とか「夫が、別の女性に面倒見てもらうことになってしまった」という事態になると、女性は慌てて「離婚したほうがいいかどうか」悩むのだと思います。
夫の悪口や愚痴は言うけれど離婚しない女性というのは
つまり、愛情で結婚しているわけでもなければ、愛情で続いているわけでもない。
別の愛を探すこともしない。仕事の上で文句を言うのと同じだから。
我慢できる限り、会社に勤め続けるメンタリティと似ています。
男性が、会社を愛して仕事するのと同じようなものかと思うと、納得できるようなできないような・・・。
そして「結婚とは自分を成長させるもの」と決めている人は、自分を結婚で成長させようとするのでしょう。
そして、「結婚が、誰の面倒もみなくてよくなった」「結婚で成長できなかった」「結婚が仕事として辛くなった」時に、立ち止まって結婚に対して疑問を持つのであって、そうでなければ、自分の目的通りに生きていくのだと思います。
あなたにとって結婚とはどういうものでしたか?