背負う
テレビをつけると、新藤 兼人監督のドキュメンタリー番組だった。
私はこの監督を存じ上げなかったし、ましてや、乙羽信子さんとの話も知らなかった。
見るつもりのなかったこの番組を、しばらく食い入るように見続けた。
「不倫27年、結婚生活16年」
テレビを見終わって、新藤兼人という人をネットで調べたらこの言葉が出てきた。
一家だんらんがないけれども離婚せず、妻が亡くなってから結婚。
不倫が騒がれている昨今。
わたしはこのことに触れた意味を自分の中で静かに見つめていた。
不倫を「ひどいことをされているのだから、やめたら?」とアドバイスする女性は多い。けれど、本当にそうなのだろうか。
テレビの中で私が感じたのは、新藤監督という人は、「性と制度」に切り裂かれた人だということだった。人として「性」を全うしたいという思いと、制度に抗えない思い。
それは、「誰でもいいから」という安易なことでもなく、「性」に正直に、しかも責任を持って生きていきたいということだったのではないかと。
そしてそこには、乙羽信子さんが貫いた思いもあってのことだろうと思う。
今の「不倫をしたい男」には、覚悟が足りない。
制度の矛盾を苦しみながら引き受ける強さはない。
だから、女性に「ひどいことをしている」と言われてしまうのかもしれない。
妻と恋人、どちらに対しても「適当にやればいい」という気持ちが軋轢を生む。
けれど、新藤監督という人が妻を亡くし、その後不倫関係の相手と結婚し、その人をも看取ったという事実になったからこそ、言えることかもしれなくて、人生というのは、最後の最後までわからないものだと、私は思う。
乙羽信子さんだって、不倫の最中に「やめたら」とか「いい人が見つかるかもしれないのに」とか色々言われたんじゃないだろうか。わからないけど。
今それを言われている女性もたくさんいるだろうけれど、本当に「やめたほうがいい」のかどうかなんて、他人にはわからないんじゃないのだろうか。
それこそ無責任なアドバイスになるのではないのかと思ったりする。
どんな出会いが、どんな別れがベストなのかはわからない。
新藤監督の息子さんが画面に映っていたけれど、父親を許していない表情に見えた。
「息子に許されない父親なんて」と思う人もいるだろう。
でもそれを選んで、堂々と愛を貫いて生きた本人は、その憎しみをも抱いている。
綺麗に割り切れる人生なんてないんだろう。
その時は、誠実であろうとしても、矛盾だらけの人生を生きていくんだろう。
私が、きれいごとが苦手で、幸せかそうでないかを簡単に言い切ってしまうような人が苦手なのは、人って間違うし矛盾だらけだし、変なんだよ?どうしてそれを否定するの?ということだと思う。
最後に残るのは、自分が幸せかどうかだけなのだ。
誰かに評価されるものではないんだ。
新藤監督の奥さんが「不倫している夫とやり直すにはどうしたらいいですか」なんていう相談を誰かにして、うまくいっちゃって、夫が戻ってきたとして、という選ばれなかったもう一つの人生を想像してみたらいい。
映画も何も生まれなかったかもしれない。でもそれで、新藤家の、監督以外の人は満足したかもしれない。ってことだよね。
誰の手にも委ねず、人生を引き受けることは、誰かを傷つけることでもあるんだよ。
それでもいいんだよ。
ただ自分に正直であれ。
私が生きていく道。