風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

真面目の意味って

わたしはよく「真面目ですね」と言われるけど

実は全然真面目じゃない。

 

そもそも、人の言うことを素直に聞かない。

高校時代はゲームセンターに通っていたし

今も仕事よりゲームしたい気持ちがつよいぐらい

仕事や家事を「まじめに」やるつもりなんてない。

綺麗な服を着て、お化粧して、本を読んで、絵を眺めたり

美しい自然の中にいたい。

 

美しい建物やインテリアの中に入りたい。

 

怠惰でうっとりするようなものが好きで、だらだらと恋人と過ごして生きたい。

 

それが私の正義であるし、理論が通らない美しくないものは嫌いだ。

 

「先生の言うことを丸っと信じ込むまじめさ」や「親の言う通りにするまじめさ」「先輩の言うままに動き、人を殴れと言われたら殴ってしまうまじめさ」が大っ嫌いだ。

 

だけど、人は、私のような筋を通す人間を「まじめで面白くない」と評してきた。

そして、育った環境で植え付けられたことをそのまま信じ込み、差別したり、いじめたりすることを「まじめに」やってしまう人たちは、「俺たち、わたしたちは、まじめじゃないんだ、融通が利く人間だ」と言う。

 

まったく意味が分からない。

 

人間にも人生にも正解はない。

にもかかわらず、「まじめじゃない」と自分自身を間違った受け止め方をしている人たちは、「これが正しい、なぜなら親が言ってたからだ、会社が言ってるからだ」と思ってる。

 

自分の頭で考えない。自分の言葉も持たない。

 

それでは誰も心を開いてくれないだろうと思うけど、そういう人たちは、そういうつながりで、うっすくうっすくつながっているみたいだ。

 

わたしは「まじめに」本の世界や美の世界に没頭することができる。

人に押し付ける為じゃなく、自分の研究のためにあらゆることを試している。

 

今日はまったく理屈がなっていないことを言われた。

昔なら、おおいに怒っていたところだ(笑)。

けど、今は違う。

大変だなと思う。理屈に合わないことを信じていることにも、そうやって考えずに生きられることを。

 

その人に間違いを教えてあげることは、迷惑なことなんだろうと思うからやらない。

その人は間違いを認めないだろう。きっと混乱してますます私に反発するだろう。

だから、やらない。

 

私は親切ではなくなった。自分を守るため、無駄な軋轢を避けるため。

いつか、その人は気づくだろうか。

わからない。気づかないかもしれない。

それでもいい。

 

それでもみんなで幸せになればいいから。

 

こういうことを考えている私は、やっぱりまじめなのかもしれない。