風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

失敗できる日々っていいよね

京都に行ったら

バスを乗り間違えて

目的地から遠く離れていくのに

途中で気が付きました!

 

京都のバス、なんやねん(笑)

 

でね。

思ったんです。

ここで「お前はやっぱりあかんたれやな」って笑ってくれる人がいてくれたらいいなって。

 

前にも書いた気がする。

 

私は、そもそもが失敗する人で、あらゆることに不器用です。

それを必死で隠して生きなければならない時期がありました。

それはとてもキツイ体験でした。

 

一人暮らしになった今。

どれだけ失敗しても、誰にも何も言われないのが、どれだけ楽か。

 

「あなたがバスに乗り間違えるなんてありえない」

「どうしたの?」「大丈夫?疲れてたの?」

「ダメじゃん、頼りにしてるのに」

 

というのが、若い頃に私が失敗したら「こう言われちゃう」というものです。

今でも、女性の知り合いは、そういう風に言うかもしれません。

 

私にとっての青い芝生(隣のシバは青いってやつね)は

「失敗することがデフォと思われてた人」です。

いいよね、失敗がデフォだったら、後何をやっても自信になるし、ちょっと褒められただけで気持ちよくなれるしね。

 

同じような人がいると思うので書くのですが

「あなたが失敗するなんて!」と言われる人生ほどしんどいものはないんですよ。

人に喜ばれたいし、喜んでほしいと思って生きていればなおさら。

 

下調べをして、どんなことにもミスしないように神経を張り巡らせる。

それがわたしです。

だけど、どれだけ気を付けても、私はそもそもがおっちょこちょいなんですね。

で、他の人が失敗しても許してもらえることで、怒られてしまう。

がっかりされてしまう。もう信用しないとか、言われてしまう。思われてしまう。

 

え?あの人もこの人も、この程度で信用失くしてないやんってことでも、です。

 

それぐらい、私のミスは許されなかった。

だから、他人にも厳しくなってしまうのは、仕方のないことだったと思います。

 

ダメなことをダメだと言われるのは当たり前。

でも、「あなたにはできるはずでしょ」みたいな期待のされ方は異常なんです。

私の周りを見ても、誰一人、わたしが期待される基準のことをやってないっていうのに。

どうして私だけが?と思ってました。

 

だからかな、今も盛大に失敗を繰り返して自分を赦してる。

そうしないと生きていけない気がしてる。

 

一方で小さい頃に何をしても「仕方ないね、あなたにはできなくて当たり前だものね」と許されたあげくに、子どもを虐待したりしても、「わたしは生きているだけでいいの~」って言ってる人がいる。めっちゃ傷つきますよ、わたし。

 

家庭でも学校でも、私は失敗できなかった。

すげ~怖かった。毎日が。肩が凝って仕方なかった。

クラスメイトや兄弟は、私の失敗を求めてる、失敗する私を見たがってる、失敗する私を見て喜ぶんだろうなって。

そして、大人たちは、「不真面目な子どもがかわいい」の反対で、「まじめなみかみさんが失敗したら何もいいとこないね」とそれまでの期待の反動で見放すだろうこともわかっていました。

 

ただ本が好きで、何となくテストは簡単ってだけで

勝手に期待して、勝手に頼りにされて、勝手に持ち上げられて

「だったら性格も良くなってね」だとか「クラスをまとめられるでしょ」とか「発表とかしてくれるよね」みたいな。

ただの10歳になるかならないかの子どもに、よくそれだけの期待を先生もクラスメイトも私に背負わせたよね?って思う、今は。

 

で。

学校という枠を卒業したとたんに

「人に期待するな」って言うんだよ、クラスで出来のいい人に何もかも期待して、楽をしてきた人たちが。

 

まあ、他人のことはいいんです。

 

とにもかくにも、大変な子ども時代でしたね。

今は、失敗し放題で、バスを乗り間違えることも楽しいです。

一人暮らしだから時間も気にならないし。

ハプニング大歓迎です。

男性関係も失敗し続けていますけど、それも全部ネタになっていて

男性に語るとなかなかウケます。

 

あとは「お前な~」って笑って言ってくれる人を見つけるだけです(#^^#)

 

乗り過ごしたおかげで、閉店間際の百貨店で「ウナギ弁当」半額で買えました。

スタバより安かったよ!

今年はもうウナギなんて食べられないと思ってたのに。

 

帰ったら、朝作っておいたコーヒーゼリーをおやつにしました。

 

どんなに頑張ってもゴールがなくて

ちょっとしたことが致命傷になって親から嫌われて

誰より努力したのに認めてもらえなかった。

ある人が、「精神的虐待でしたね」って言ってくれて

やっとその過去を受け入れて前に進めるような気がしました。

 

これからも、このことを書いていきます。

小説に、と思ったんだけど、それだと時間がかかり過ぎて

今必要な人に届かないと思ったので。

 

できること以上のことを勝手に求められ

できないというだけで、軽蔑される。

その繰り返しが私の性格を作り上げた。

 

楽な子ども時代(頑張らなくていいという意味で)を送って、甘やかされて、大人になって「子どもの頃は出来ないと思ってたけど、頑張ってみたらできました」みたいな発言。

で。私みたいな育てられ方をした人に「甘えたほうがいいのに」「愛されるコツ、教えてやろうか」って上から目線で言ってくるんだもん。びっくりするよね。

 

そう言う人にはもう、金輪際近づかないって決めてるからもういいけど

私と似た境遇で育った人たちは、餌食になりがちだから。

そしてまた、自分を責めてしまう悪循環に陥るからね。

 

これ以上伸びないゴムをとことん引っ張られたわたしのような人たちが、

少しでも楽になればという気持ちです。

 

人の役に立ちたくない、投げ出したいと思っていいし、全部捨ててもいいかもよって。

それもこれも、やってみなきゃわかんないし!

 

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