過去の洗い出し
また雨ですね。
朝からパフェ作って食べました。自由だ!(笑)
せっかく買ったマンゴーがダメになりそうだったので必死。
ヨーグルトとグラノラ入りのヘルシーなパフェです。
さて。
今日は過去の洗い出し。
なので、読みたくない人は飛ばしてください。
今、親の支配下で意味なくしんどいなあと思ってる人が
少しでも楽になればいい。
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いつも人間関係で躓くし、環境は恵まれてるのに心の中は荒れ果てていて
隣の芝は青く見えて苦しいし、どうしたら?という人生。
恋愛をすることで、ようやくその本質に辿り着いてきたところです。
これまでも、私の完ぺき主義が自分を苦しめていることはわかっていましたが
いやだから、その完璧主義がダメだ、という完璧主義がまた私を苦しめてるんで!っていう悪循環でぐるぐる。
そこで少し、過去のおさらいを。
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母は、祖母と共依存関係にありました。
それがわかったのは最近です。私が自分を責めることをやめようと決意してから気づいたことです。
強い祖母の下で育った母は、常に祖母を意識していました。
娘である私が、祖母の前で粗相をしないかどうかとか。
妹にそれがなかったのは、私と母はなぜか一心同体であり
妹がおそらく母にとっての最初の「子ども」だったからじゃないかと思われます。
戦争の関係もあってか、祖母は役所初の女性管理職だったらしいです(強い)。
物心ついた時には、祖母は書道の先生をしており、私は毎週祖母の家に通っておりました。
白い犬がいて、ちくわを食べさせたり、母が使っていたであろうままごとセットで遊んだりした記憶はありますが、祖母から優しい言葉をかけてもらった記憶はあまりありません。
夏休みの宿題が終わらなかった8月末に、私はその祖母の家に行かされて
祖母の家で宿題をしておりました。
祖母と母はタックを組んで私を見張っていたんじゃないか、そんな気もいたします。
ピアノと書道を毎週、そしてピアノの練習、塾に勉強。
学校のストレスもあり、家では容姿をからかわれながら
すべてをパーフェクトにこなそうとフル回転していた小学校高学年のある日。
わたしは、爆発して食卓の下で暴れて大泣きをしました。
そうなった私を見て、祖母は母を批判するようなことを言い、母は私を冷ややかな目で見て放置しました。
その時の悲しい気持ちは今も忘れていません。
まだ、叩かれたほうがよかった。怒りに任せてぶつかってもらったほうがよかった。
ランドセルを庭に投げ捨てた父のことは嫌いにならなかったけど
私の感情の爆発を冷ややかな目で見捨てた祖母と母を好きになることはできないですね。
人間は、出した感情をどう受け止めてもらえるかが肝です。
受け止められなかったものは宙ぶらりんになり自分に戻って来るだけです。
子どもの頃のそれは私の習慣になりました。
母は、子どもの気持ちを受け止めて返す、ということができなかったのです。
子どもは、自分の分身であり、盾になってくれる便利なものなのでした。
そういう意味で、母はずるくて汚くて、本当は強い癖に、被害者意識の塊でした。
娘である私が、いい高校に行くことも、いい大学に行くことも、共働きをさせてくれる夫に出会ったことも、全部全部母の手柄であり、娘を評価することはありませんでした。
なぜなら、娘を評価すれば、自分が空っぽであることを認めざるを得ないからです。
だから、私の失敗は母にとって許されないことだったし、失敗した私は母にとって不必要なものになり得たのです。
これまでの自分を振り返ってみて
わたしはよくぞ親を殺さなかったと思います。
鬱病で3人の子ども(一人はゼロ歳児)を抱えていた時も
母は「お父さんのご飯があるから」と私を心配することなく帰りました。
子どもと一緒に心中してもおかしくなかった状態です。
まあ、親を憎むことで乗り切ったというか(笑)
「親を悪く言うな」「人生は全部自己責任だ」という人たちの考えていることは
私にはよくわかりません。
人には人の歴史があるのです。
幼い頃から感情を受け入れてもらえず、何もかもが自己責任の中で生きてきた私は、もうそろそろ人のせいにしても良かろうかと思っているところw
人のせいにしたり、反省したり、その繰り返しで人は学び生きていくのです。
未熟な親の元で育ち、感情のやり取りがないまま育った私は
成人してから幼い頃にやるはずだった失敗をしなければならず
それはとても痛い経験でしたし、その痛みは、成人であるがゆえに(みんなは通り過ぎてるもんかもしれないけど)トラウマにもなりました。
今、ひとりの時間を贅沢に使って暮らしています。
人との関わりを最小限まで減らしたことで、自分の傷をゆっくりと癒しています。
まるで怪我をした野生の獣が穴の中でじっとしているように。
期待も要求もない場所にいることが何より大切みたいです(*´ω`)
親でなくても、私のことをちゃんと見てくれる人がいる。
少しぐらい破綻してても、わかってくれる人がいる。
この前の職場でも、ひとつ前の職場でも、めちゃくちゃ失敗して、痛い目に遭って傷ついてしまったけど、違った目で私を評価してくれた人がいたことを、私は心に留めていて、それが何よりの薬になっています。
あの時失敗しなかったら、私を評価してくれる人の姿は見えなかったですから。
世の中は、実家よりずっと温かいみたいですよ、みなさん。
そして、自然というのは、何も言わず何も聞かず、私を受け止めてくれる友達です。
木や草の温かさを感じると、生きる気力が戻ってくる。
常に緊張を強いられてきた幼少期というのは、男性の育てられ方に似てるのかもしれず、それ故、甘えられない男性にシンパシーを感じてしまうのかもしれません。(長男跡取りとして甘えも失敗も許されなかったみたいなところ)
守ってあげたいというよりは、同士って感じになります。あっちはそう思ってないかもだけどね。
大人になってから失敗できたことは
本当に大きな宝。
そして、辛さの度合いが強ければ強いほど
逆に突破口が大きく開かれるし
望みも大きくなる。
誰にも聞いてもらえなかった要求を、今自分に問いかけています。
わたしは母親と違って(笑)自分の要求を自分で聞いてあげることができる器になりました。我儘言っても大丈夫。壊れたりしないし、怒られたりしない。
誰かと喧嘩しても、ご飯をこぼしても、夜中に寝ても昼に起きても大丈夫。
不誠実でも人に冷たくしても、わたしはわたしを見捨てないのです。
そういえば、モネの睡蓮・・・ヨーロッパにも蓮池はあったのね。