風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

目に見えるもの

夏です!!!

 

って感じの空。

 

アニメの背景にありそうな風景。

 

私が目に見えないものに魅かれたのは

自分が目に見える幸せに囲まれながら、孤独感を深めていたことに

誰かが気づいてくれないかなあって思ったことが

発端だったのかもしれません。

 

さっき、面白いことに気づいたのです。

うちの実家は、母の「私を不幸から救って劇場」だったんだなあって。

すべてがそこに巻き込まれていたけれど

私はその劇場から退出した、ということ。

 

母一人子一人で育った母にとって

大家族で暮らすことや、子どもをたくさん産むことは

大きな願いだったのだろうと思います。

また、食べることに困らないとか、いい暮らしをするとか。

 

「願いを叶える」ブームですよね、今。

それで、思うんです。

たしかに、人が願ったことは叶うのです。

母のように、力強く叶えてしまうことがあります。

 

だけど、どんなに「外側」が叶っても

彼女の内側は幼い頃のままだったんじゃないだろうかと思います。

 

大家族に憧れても、子どもの育て方はわからなかった。

大家族になりたい気持ちを「物理的に叶えた」けれど、

娘を孤児のように育ててしまったことは、母にはどうでもいいことでした。

 

自分が被害者であり、かわいそうであり、みんなは私を助けるべきだ。

母は常にそう思っていたのだと思います。

子どもを味方につけて、必死で。

 

妹も弟も、今でも母の味方になって、

「かわいそうな母」を守っていますけど。

 

目に見える幸せをすべて手に入れた母を

私は羨ましくない、かなあ。

 

ほら、今の日本のトップもそうじゃないですか。

「かわいそうな僕」を国民全員で守らせようとしてる。

 

戦後生まれの人たちが、トラウマを解決せず

自分の「かわいそう」を解消するためだけに

周りを巻き込んでわちゃわちゃしてしまった感じ。

 

物理的なものが手に入れば幸せになれる。

確かに本人はそれで幸せになった気持ちがするかもしれない。

でも、例えば子供。

子どもを「自分の幸せのための道具」としてしかみなさない。

自分が守るべきものではなく、自分を守ってくれるものとして生み、育てるわけです。

 

私はたぶん、そういうものとして生きてきたので

今でも、母親を感情的に必要としないんだと思います。

シングルマザーで育った母親には、子どものかわいがり方がわからなかった。

そして何より、母は自分自身を幸せにすることで精いっぱいだった。

 

そういうことにしておきましょう。

 

目に見えることを叶えるってそんなに大事かな、と

時々思うんです。

それはたぶん、母を見ていたからですね。

本当に大切なものが見えなくなってもなお、小さい頃の飢餓感を埋めようとする。

それが「願いを叶える」の原動力だったとしたら。

 

キラキラ見える結婚や、絶対的なものに見える「自分の子ども」や

お金や地位や人から尊敬されることもすべて。

 

目に見えないことが見える見えると豪語している人にも

私の本当の寂しさは見えなかったです。

それは、誰もわたしと対話をしようとしなかったから。

自分の「見えるもの」で勝負しようとしたから。

 

自分だけに見えるものや、知ってる知識をべらべらしゃべられたって

本当のことは何も見えないんじゃないかな。

 

視えないモノを見る力っていうのは、「視えない」からこそ、見えるんじゃないのかな。

 

なんとなく、そう思う夏の昼下がりです。

 

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