風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

比べない

社交ダンスのスランプを脱したようで

楽しかった頃の気持ちが戻ってきました。

何事も一直線にいかないものですね。

ということがわかると、少し落ち込んだり凹んだくらいで

何かを決めつけなくなります。

人は、悪い方向に考え出すと、全部がそうなってしまい

そうなると、周囲の人からも悪しきアドバイスしかもらえなくなります。

 

凹んだ時に自分を保つことが一番大事。

意志の力と理性によって保たれるので、凹んだ時は、「そこに留まるだけ」に集中すると抜けるのも早いかもです。

 

多くの人たちが何かを想う311がやってきます。

 

311は、私の、間接的な離婚のきっかけとなりました。

 

人生を変えました。

 

そうでなくとも、私たちは、あらゆる局面で変化を求められます。

社交ダンスに通い始めたことで、わたしは、自分のコンプレックスを突き付けられました。そして、自分の暗い奥底まで潜って、ようやく「欠点が欠点でなくなり」ました。

今は「自分最高!」です。

自分を愛するでもなく、思い込むのでもなく、いやマジ最高だし!と思ってます。

 

美人枠やキレイ枠、いい女枠を、女性たちは争っているように見えます。

どうしたら綺麗になれるか、どうしたらいい女になれるか、見られるか。

結婚してその競争から降りられてほっとしている女性もいることでしょう。

しかし、競争に降りても、コンプレックスは残っている。

 

今の私には、競争相手はいません。「わたし」という枠がひとつしかないからです。

わたしより、私に勝てる相手はいない。

だから、自分を輝かせる方法をいつもワクワクしながら考えるだけです。

 

私より、私の個性に勝てる人はいない。自分が自分の最高峰です。

 

それが腑に落ちた時、怖さが一つ減りました。

 

自分の好きなように自分を装っていればいい。

 

さて。

わたしは美術が大好きです。

小学校の頃から、美術の点数は散々でした。教師には目の端にもかからない子どもでした。手作業が下手で、なにひとつうまくできたことはありませんでした。

けれど、やっと思い出したんです。

おばあちゃんの家にかかっていたカレンダーは、モネなどの絵画が描かれていました。

家には美術全集があり、ずっと眺めていました。

母は、美術をやりたかったのです、きっと。(母は一言も言わないけれど)

だからこそ、子ども達には美術を勧めなかった。無意識に。

そして、自分ができなかった音楽をやらせた。

 

母の唯一の自慢が美術だったのだと思います。

おばあちゃんが大切にしてたのは、母が作った彫刻や母が描いたものでした。

だからこそ、自分の子ども達には「美術の美」の字も言わせなかったんです。

 

それでもわたしは、大学生になったころから、なぜか絵本の絵が気になり、絵本美術館を訪ねたり、大原美術館に何度も足を運んだりしています。

なのに「美術が好きだ」とは一度も思わなかった。そう思うことが禁止されていたかのように、その言葉自体が心に浮かぶことがなかったのです。

 

親が思い込ませた私の牢獄とは、もしかしたら、このことかも?と思い始めています。

 

封印を解いた先に見える世界は、色鮮やかでいきいきとした世界。

私の脳が私の世界を創造していくのです。

誰かの世界で遊ぶのではなくて。

そしたら、何一つ比べることなく自分自身でいられる。

 

明日は何を生み出すのかな。壊れて、平地になって、また生み出して。

人生はその繰り返し。

 

おやすみなさい。