ドラマ深い
今日は山道を歩いてきました。
ちょっとしたイベントがあって
相変わらずひとりで飛び込んでいったわけですが
足が痛いです(笑)
昨日から歩きすぎ~。
さて。
アマプラのドラマ。
刑事モノを見ていたのですが
それが私にどんぴしゃのメッセージをくれました。
「愛されていないことを認めたくないから、必死で愛したんじゃないでしょうか」っていうセリフ。
わ~~~~~きた~~~~
いやね、わたし、愛してくれない人が好きなんですよね(^^)/
その理由がやっとわかったっていう・・・。
振り向いてくれない人に必死になる癖。
うんうん、あるある。
それが子どもが生きるための知恵だからねえ。
親に愛されてないってはっきり認めるのは
兄弟が多いと辛いんだよね。
私だけが愛されてないのかな~ってなるじゃない?
愛を与えなくても、与えてもらえる人っているんですよ。
そういう親は山ほどいる。
彼らは彼らで問題を抱えているんだけど、それでもなんだかって思うよね。
だから、どんなに宗教が「愛は与えれば返ってくる」って言っても
心の底から信じられなくて。
そうじゃない人が目の前にいるんだもの。
そこを突破できるかどうかなんて、他人からとやかく言われたくないもんだ。
わかるかな?
しょせん、人に言われたって「他人」だから、神じゃないから。あなたは。
別に、自分を嫌いなわけでもないし、肯定していないわけでもない。
ただ、振り向いてもらう努力が生業になってしまっただけ。
癖になっただけ。
それは人格を否定されるような悪行ではないよね。
こうしてドラマからメッセージを受け取るのはいいものだと思う。
教えてくれるのは、上から目線の他人じゃないってところがいい。
それだけ人を信じる力をつけてきたのだし
人を愛する力もつけてきた。
相手が自分を大事にしない人だったってだけで。
けっこう周りを見ると、愛することを怖がってる人が多い気がする。
どうせ愛されないんだしって。
表面的にお付き合いしたりして、これでいいのかなあなんて漠然と思ってたりして。
愛しちゃったらいいのに。人を。愛されなくても。と私は思う。
痛かったりしんどかったり辛かったりすることもあるけど
人を愛した記憶はいいもんだよ。
愛された記憶よりずっと。
自分が心から動いたことは絶対に無駄にならない。
相手からされたことは、嫌なことも愛されたことも、どことなく薄くなったりするけどさ。一生同じテンションで誰かから愛されることなんてないんだし。
愛した記憶の数だけ、人は人を深く深く見ることができる。
怖がらずに人を愛したい。