休める幸せを感じよう
女性として生まれて
何が悔しいって
毎月動けない日が来ることだと思う。
そのたびに、積み上げてきたものが崩れるような気になったり
やらなきゃいけないことができない無力感にさいなまれたりする。
私の場合、その日までに気分が一度落ちる。
そして、さっさと終わってくれないから
1週間はもやもやが続く。
つまり、年間で一ヶ月は、男より動けないってことだ。
一ヶ月もストップすることがあるってことだ。
妊娠出産ともなれば、もっとその期間があるわけで
3人分もそれをやってると、マジで何も達成できていないような気になるし
生きてる意味ってなんだろうとか気分が落ちる時に考えてしまうことも少なくない。
だから、動ける時にがむしゃらにやってしまうこともあった。
もう受け入れようと思った。
諦めじゃなくて、そんな自分でもここまでやって来れたことを幸いだと思い
しっかり休んでいいんだよと自分に言い聞かせることにした。
何かを継続的に続けることが良しとされ
中断することに罪悪感を持たされて
私たちは生きてきたんじゃないか。
わたしがこれほどに不登校や離婚をまるっと受け入れるのは
「やめることはいけないこと」「中断したらリベンジはない」と脅迫してくる
社会への自分なりのアプローチでもあるのだと思う。
誰もが精神力や体力があって、「続けることが普通」にできるわけじゃない。
そして、今、色んな人とお話ししていると
挫折を知らない人はとても不安を抱えているみたいに見える。
未来を確定させようとして必死になってるように見える。
「明日掃除しよう」と思ってても
起きあがることができない日もある。
無理やり自分を励まして無理やりやり続けることができる人もいるけど
私はそうじゃなかった。
予定が立たない毎日が普通だから、無理やり相手を予定通りにさせることもない。
コントロールの渦の中に巻き込まれるぐらいなら
ひとりでいることを私は選ぶ。
先日、急に思い立って、スタバの新作を買いに行き
その足で、大阪市内横切るドライブをしてきた。
私にとってドライブは瞑想であり、閃きの時間でもある。
その時もまた、突拍子もないことを思いついた。
仕事の選択肢がまたひとつ増えた。
私は今、思い付きで生きている。
毎日毎日、自分と相談しながら生活している。
今まで無視してきた自分と暮らすのは、ちょっと大変だけど面白い。
神様の計らいで休めているのだから
心もゆっくり休めようと思う。