希望
希望を持ちたいね。
いつでも。自分にも世界にも。
息苦しい時を超えて
自分に出会い続ける。
新しい景色を見たいから
歩き続ける。
幼い頃、そうありたいと思っていたこと、世界が思っていたのと違っていてショックだったことが、今になって「わたし、間違ってなかった」と思える。
私だけ、違う世界にいるみたいに
同級生と話が合わなくて孤独だった。
たぶん、誰もが「自分が思い描いた世界」を作っているのだと思う。
田舎に暮らして、田舎の風習を継ぎたい人は、その思考から外れないし
システムを疑う私のような人間は、似たような人に出会う。
予約した本が届いたので
図書館に行ってきた。
わが町の図書館は、いつも盛況だ。
駅からも遠いのに、にぎやかで嬉しい。
時間があったから、思わずたくさんの本を借りてしまった。
西加奈子の「ふくわらい」を何とかカフェで読み終えた。
ヘビーだった。
前にも読んだはずなのに、これほど脳を直撃するとは思わなくてたじろいだ。
スタバのケーキも解毒にならなかった。
力のある作家は、日常を壊しにくる。
日常をなだめるだけの小説は、ポテチと同じだな。
911と同じような衝撃が、先日あった。
子どもたちもショックを受けたと思う。
私もどこか不安定になって、昨日の仕事はグラグラだった。
その気持ちを戻してくれるのは、私にとっては小説と食事なのだと思う。
わたしは、本をよく読むからか頭でっかちと言われてきたけれど
ほぼ感覚で毎日を生きている。
テレビの言うことだけを信じる頭でっかちとは違う、と思う。
肌感覚を何より大切にしているし、何かおかしいと感じたら立ち止まる。
香りや、着る服の色合わせまで、気に入らないものは身に着けない。
お手本はない。自分に聴いているだけだ。
本を読むと、体感にくる。
頭で理解しない。身体に入れ込む感じで読む。
目に入ってこない本は読まない。
自分の感覚を誰にも否定されないように、強化するために本を読み、知識を必要とするのだと思う。
だって、こんな直観、誰も信じないだろう。頭でっかちの人たちに説明できるようにするためには、知識を使わなきゃね。
そうやって自分をプロテクトしてきたけれど
そこそこ頭に入っている知識も増えたので
思ったことを思ったように発言しても大丈夫になったし
どうしてそれがおかしいのかを、説明できるようになった。
だから、感覚全開で生きていきたい。