今の私が思う愛とかなんだとか
ずっと男性の観察と研究をやってる。
恋もしたけど、結局は「男性をわかりたい」という願望だったんだと思うし
まだまだ未知の世界が面白くてやめられない。
異性をどうとらえるかは、一人ひとり全く違う。
それも、大発見のひとつだった。
世間では、男と女をまるでステレオタイプのように描くけれど
それこそ、ひとりひとりの脳と経験が違う分
異性への眼差しは100人いれば100通りなのだ。
社会的な制度に縛られて、そこから動けない気がして
だからこそ、外に刺激を求める男性もいれば
夫との関係で悩んで、家庭以外の恋愛をする女性もいる。
女性が男性を理解してあげればいいのにと思う女性も多いし
私なんかは、男性は男性同士で今の問題を解決すればいいのにと思ってる派で
その辺りも、平行線のままなんだろうな~と思う。
正解はどこにもない。
今日、地震で壊れた近眼用メガネをやっと作り直したんだけど
家に帰ったら、ゴミがはっきり見えて、すぐに掃除機をかけた。
誰もが、視えないものと視えるものがあるのだと思うし
視えたら視えたで、ショックなこともあって
掃除しなきゃ!と思うか、眼鏡を外してしまうかどちらかになるだろう。
誰がどんなに理想を語っていても
私たちは、自分の経験でしか生きられないのだと思う。
だからこそ、みなが柔らかく暮らせる制度があるといいなと思う。
思想は強制することはできないし
「そう思う」→「でもできない」が人間の常なのだから。
私が見てきて思ったことは
男性は、結婚というものに縛られていること。
そして、自分ではどうしようもない運命に流されている被害者だと思い込んでいることだ。
小さい頃から、男性は特に、軍隊のような体育の授業を受けたり、部活でそういう目に遭ってきて「自分は機械のように、誰かの命令で動かなければならない」と信じている。
だから、女性に対しても、人間扱いすることが難しいのだろうなあと思うのだ。
「俺らは、モノのように扱われてるんだから、女性をモノとして扱って何が悪い」と。
そのおかしさに気づけないほど、信じている。
だからって、わたしは、男をかばう気はさらさらないし、育てる気もないし、面倒を見ようとも思わない。
ただ「わたしは、モノとして扱われたくないよ」という意志表示をして生きていくことが、この世界を少しだけ変えることになるだろうと、ふと思った。
自分の悲しみを、女性を使って解消するのは、違うよね・・・と
男性と関わるたびに思う。
けれど、男性の問題は男性で解決しなければどうにもならない。
女性がすべてを許せば解決できる・・・わけない。
くだらない見栄や、つっぱりを手放すのは
自分自身でやるしかないのだから。
だからわたしは、面倒を見たり、許したり、優しくしたり、依存させたりするのではなくて、男性を手放すことも愛だと思う。
女性に対して「ひとりで楽しく生きられてこそ、ふたりでも楽しいんだよ」などと、婚活のアドバイスする人いるけれど、女性はひとりでも楽しく生きられるんだよね(笑)
男性にこそ、必要なアドバイスだと思う。
女性が横にいなくても、自分で自分の生活の面倒、見れるほうがいいよね。
それこそ、お寺に修行行くとか。
私の男性への愛は、家事を仕込むこと?(笑)
女性は女性で、色っぽい話をもっとお互いにできるといいね。
枯れたい人はそのままでいいけれど。
精神論はいらない。
愛でたいものは愛でたいし、触れたいものは触れたい。
その感覚を持ち続けていたい。(無理やり触るのは美しくないでしょ)
それが五感を使うってことやん。
精神論で男と女を語るのももう飽きてきた感がある。
自分がどういうものを美しいと思い、触れたいと思い、愛でたいと思うのか。
その結果、愛が生まれたら愛なんじゃね?みたいな感じで。