お守りの励ましの言葉
この本をたまに参考にして日々を過ごしているのですが
その中に「励ましの言葉」を思い出し、それを言ってくれた相手にメールか手紙を書こうというものがあります。
何かあるかなと探ってみると
仕事で仲良くなった方に言われた言葉がありました。
「みかみさん、がんばりすぎですよ、仕事やりすぎなんですって!」
今思うと、私がやりすぎることで、仕事仲間もさぼれない(笑)というのが
あったのかもしれないけれど
私にとってこれは衝撃であり、嬉しい言葉でした。
ほとんどの人が、私の「足りない部分」にしか目を向けなかったからです。
よく、私は子どもの気持ちになって、不登校の親御さんに話していることがあったのですが
親も先生もひたすら、子どもの足りない部分を必死で訴えていることがあり、それがとても私には悲しかったのです。
私はずっとそれを言われ続けて、今もその言葉に囚われて傷つくからです。
自分が思い通りにならない子どもや他人に対して
人は、その人の欠けている部分を必死で探し出して非難するみたいです。
だから、どんなに何ができても、その子にどんなに優しさが眠っていたとしても
誰も気づいてあげないし、そこに注目してあげないし
「足りない部分をちゃんとしてくれたら私は認めてあげるのに」みたいな言葉ばっかり。
今ある幸せに気づけないのと同じで、その子どもの持っている素晴らしい部分に目を向けないのは、なんでかな~って思います。
でね、わかっちゃったんです。
結局人は、見たいようにしか人を見ない。
どんなに優しくしても、「あなたは優しさが足りない」と言う人は言うんだって。
「愛が足りない」「素直さが足りない」とかもうありとあらゆるセリフを用意して
その人の不足を「教えてあげたい」人がいるだけだって。
性格とか、そういうものは、数値化できないんです。
足りないわけないんです。
誰にだって。
「もっとこうしたほうが」というのも同じです。
誰も不足なんてないし、本当は「したほうがいいこと」なんてない。
何でもいいから、相手より自分のほうが上だと示したい。
だから、相手の足りない部分を必死で探すんだって感じで
占いなり、見えない力なりを使って、「あなたはこれが足りないです」商売をするのって需要はあるけど、罪深いと思います。
相手に完璧を見ると敗北した気になるのでしょうか。
子育てでも、介護でも、友達付き合いでも、恋愛でも
人間だもの、うまくいかないことがあって当然です。
そんな時に「あなたの性格がこうだからうまくいかない」って言うのは
めちゃくちゃ簡単です。
本当は「たまたまその時期」だったり「たまたま体調が悪かった」りするだけのことを
さも、当人に問題があるかのように指摘して相談に乗ってるフリしてるの、多いですよ。
嫌なことが続いたり、うまくいかないことがある時は
決して「ちょっと厳しめのことを言います」的なものに近づかないのが
私のライフハックです。
日頃優しそうなことを言ってる人でも「カードがそう言ってるから」とか「気づきなさいってことだから」みたいなことを平気で告げる人には警戒します。
そうじゃなくても、勝手に時が解決してくれたり
温かい励ましの言葉で癒されて解決するほうが
自分にとっていいと思いませんか?
お守りの励まし言葉がひとつあるだけで、人は生きていける。
私のもう一つの癒しは、自然です。自然は何も言わないから。言葉がないっていいよね。