風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

優しい言葉

ついにGWも終わりました。

 

言葉って面白いと思いませんか。

同じ言葉でも伝え方によって全く伝わり方が違う。

私は自分が弱いから、優しい言葉が好きです。

不思議なメッセージをくれるというサービスがありますが

人によってほんっとに違うんですよね。

私はいつも、思うんです。

「人」というフィルターを通して伝えられる言葉は、その「人」の個性による、と。

 

温かい言葉を選ぶ人もいれば

機械的な言葉を選ぶ人もいる。

きっとメッセージは同じなんだよね。

 

で、私が機械的だなと思う言葉にも優しさを受け取る人がいるかもしれない。

 

わたしはどうも、その辺りを選んでいるような気がするんです。

昔はそれが、「私が未熟だから受け取れないんだ」と思っていたけれど

単に好みの問題であって、学校で厳しい先生のほうが愛情を感じる人もいれば、優しい言葉がけをしてくれる先生に愛情を感じる人もいるのと同じことだと。

 

だから「受け取れない人はどうのこうの」と書いてあるものもあるけど、それって、どんなに普遍的なメッセージであっても、伝え方が合わなければ、そりゃ受け取れんわと私は思います。

 

語りかける口調とか、ね。

 

何がいいとか悪いとかではなくて、そこは相性なり、育ちなり、色々あるから。

 

受け取れないことを卑下する必要もないし、受け取らない人を悪く言う必要もないってことで。

 

私は昔、スピな人から「お前なんて死んでしまえ」と言われたことがありました。

とてもショックでしたが、人に話すこともできませんでした。

私自身が間違ってると思っていたから。

だけど、先日、ある場所でそのことをカミングアウトした時に「よく死ななかったね」というようなことを言っていただきました。

その時にひとつ、自分の中の棘が抜けたような気がしたんです。

「受け取れなかった自分」を責めていたなあと思って。

 

正しいことを伝えてるからとか、これがメッセージだからとか、そういう正当化じゃなくて、「私がこれを言います」という個人としての責任は必要かなと思います。

メッセージのせいにしないってことが。

 

長年不思議だったんですよね。自分の口から出てる言葉に責任を持たない人たちだけど、それを私は許してたし、そういうもんだと思ってたなと。

 

同じことを言われても、気になる人と気にならない人もあるし

言葉以外の「なにか」も含まれているとは思います。

 

私は今、ツイッターをしていますが、ほぼ植物の写真や、優しい言葉で埋められています。読むとほっとするようなものにしています。

自分に優しくしたいよね。

 

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