執着、終着
ずっとずっと執着を悪いものだととらえていました。
やめなさい、手放しなさいと言われるようなもので
イメージするととても黒くて、大きな埃のように見えるものだと。
昨日、私が抱えている執着を見ました。
ほんの端っこかもしれないけれど。
執着が何かを探している時には見つからなかった。
怒りや悲しみを解放している時にそれは現れました。
こんなところにしがみついて!ってびっくりしました。
幼い私が、(こんなことはしたことないけどw)母親のエプロンを握って離さないというイメージになりました。
かわいいよね。愛しいよね。執着している自分って。
手を離したらひとりぼっちになるかもしれないって恐れていました。
嫌なものでもなく、黒いものでもなく、それはただ「そこにあるもの」でした。
手を離しても大丈夫だよ、と声をかけると、「うん」ってこっちに来てくれる感覚。
それぐらいの。そして、手を離す時期は、きっとその小さな子が決めるんです。
自分の中に安心感が育って、少し寂しくなっても、その握りしめていたものに戻らなくて済んだ時に。
私たちがやるべきことは、執着を手放すことではなく、まず自分の中を育てることです。執着したまま育てるんです。
そうじゃないと、また、別のものに執着するだけです。
それもいいんですけど。
人は簡単に「こうすればいい」とアドバイスします。
だけど、その先に受け止めてくれる「自分」や「友達」がいなければ、アドバイスに従ったところで自滅するかもしれません。
終わらせるためには、内面を育てること。
どんなに頭で「執着取りました~」ってやっても取れないと思います。
そんなに簡単に取れるものに執着しないでしょ。
それは執着って言わないでしょ。
その人にとって、命に代えるぐらいの大切なものだからこそ、しがみつくんだから。
しがみつかないと生きていけないから。
だから簡単に見つからないし見えないものだと私は思いますし、誰かから「それは執着だからやめようよ」と言われたって反発するんです。
あなたは私の代わりに生きてくれないよねって。
子育てや夫婦関係においても、無責任にアドバイスする人がいますよね。
あなたは私の子どもを育ててくれるわけでもないし、夫と暮らしてくれるわけでもないのに、よくそんなこと言えるよねっていうの、ありませんか?
それと同じです。
それを取れば生きていけないと思ってる。そんなものに手を出せと、私なら、簡単には言えないな。その前にやることがあるし、その前に伝えるべき言葉もある気がするから。
「ありがと」「バイバイ」って執着に手を振ってさよならできたら幸せです。
誰もいなくなった公園のような寂しさもあるなあ。
その寂しさを味わえるようになったら、人生が深まっていくんじゃないかな。