望んだとおりになる
今日の月も美しいです(#^^#)
かなり前から知ってる人は知ってる「引き寄せ」というものに
ちょっと真面目に取り組んでいます。
今さら?とか怪しいよ。。という突っ込みされるのが嫌で
興味はあったのに飛び込めなかったのでした。
色々な経験を経ているので(笑)
そういう自分の視点から見た「引き寄せ」というものを
ちょっと書いてみようかと思います。
この「引き寄せ」が信じられない、怪しい、近づかないほうがいい、と思っている人の
何パーセントかは、この引き寄せという「本家本元がいる話」に乗っかって、便乗商法をしている輩が苦手だからではないでしょうか。
お金儲けの手段にしている。
それこそ、この手のセミナーは腐るほどありそうですし、書籍もありそう。
新興宗教に似ていると言えなくもないし、本家本元に辿り着く前に、日本人の解説者にお金をつぎ込む人も出てきそうですもの、そりゃ敬遠しますよね。
また、頭から否定する人もいるかと思いますが
それはもう価値観の違いでしかありません。
なぜ、多くの人が「引き寄せ」にハマったか。
わたしは、その理由が「究極の自己肯定を与えてくれるからだ」と思いました。
親がやってくれなかったことを、自分自身で実行できる。
これほど強力なツールはなかなかありません。
引き寄せにハマらない人の中には、「自分を愛するとか、好きなことをするとか、当たり前じゃないか」と思っている人もいるでしょう。成育歴に恵まれて良かったですね。
また、カウンセリングや別の宗教で救われる人もいることでしょう。
けれど、カウンセリングにしても宗教にしても、「どこかに行って」「対価を払って話を聞いてもらい」「時には説教される」リスクはあるわけです。
けれど「引き寄せ」はただただ自分自身を愛するレッスンを行うだけ。
しかも「願いが叶う」というおまけ付きです。やる気も起きるわ!
けれど、その「願いが叶う」ところだけにフォーカスすると、途端に本質を見失うわけです。「セミナーしている人みたいになりたい」だけでは、本当のことはわからない。
カウンセリングをガチで何年も受け、スピを彷徨ってきた私は
エイブラハムの動画を見て、自分の中から何とも言えないエネルギーが湧いてくるのを感じたことに驚きました。
こんなに力強い、否定的でないメッセージは、初めてでした。
その前段階として、「この人、いいこと言ってるな」という日本人の文章を読んで予習していたことも大きかったのですが。
なんとなく(調べてないからね)日本の仏教にも似ています。
「今あるものに集中する」んですけど、それを、修行のようにやらないで
日常生活の中で、ひたすらやる、というものです。
修行になると、特別な感覚がないとできないのかしらとか、俗世間から離れられないし、とチャレンジする人はごくわずかになりますが、日常生活でできて、しかも、願いを持つことを肯定してくれるとなれば、「やってみようかな」になります。
敷居が低いです。
だけど、本気で取り組むことになると、「あれ、これ、修行じゃね?」って感じです。
質問者が「わたしは、夢でこんなことを見て~すごいですよね。インスピレーションが働くんですけど、どういう意味がありますか?」みたいな質問をエイブラハムにぶつけても、まったく取り合わない(笑)
「今に集中してください」と言われます。「その話に戻りたくありません」とか。
全然、スピじゃないじゃん!って、こけそうになりました。
「願いが叶う」という意味が、文字通りであり、文字通りでもない。
ね、禅問答みたいでしょ。
時代に適した宗教なのかもしれないですね~。
集まって何かをすることもないので、みな、個々でレッスンです。
合ってるか間違ってるかも、「自分が心地いいかどうかを感じてください」です。
正解を教えることは誰にもできないです。
ただ、励ますことはできます。自分が体感したことであれば。
だから、私がいいなと思っている日本人は、励ますことがとても上手な人です。
信者を集めようとか、思ってなくて、質問に答えているうちに・・・みたいな。
奥底で何を考えていらっしゃるかは知りませんよ。私はセミナーはいらないので。
こういうエネルギーで人に話をしていったのだろう思います。
そして、人づてに解釈が変わっていき、伝える側の思惑が入り込み、宗教が権威の象徴になっていく、、ご本人の意図やエネルギーは少し変化して伝えられてしまうということもあるでしょう。それは、今の日本の引き寄せブームを見ればわかります。
だから、今、生きている「その人」の話を直接聞けるのは、とてもラッキーではないかなと私は思います。
動画の中で「どうして叶うまで待てないのですか」と言われることがあります。
「引き寄せの法則が発動すればすぐに叶って当たり前だ」と言ってるのに。
その矛盾を本人に突っ込んだところで、仕方ないのです。
だって、どちらも本当のことだからです。わかるかな~・・・。
本人以外にそういうことを教えられる人がいるとは思えないんだけどな、とひねくれ者のわたしは思うわけです。言葉にできないでしょ、普通。
そもそも「あなたの願いとはなんですか」という話です。そこを自分自身でとことん突き詰めていくんです。
あとは、瞑想を勧めているし、感謝することも、愛が中心であることも
どの宗教でも結局はここに至りますね。
どうやって「それ」に辿り着くかは個人の好みになります。
わたしは、結婚できた時のあっけない感じ、新居が「昔憧れていたハイツ」だったこと、今も理想のリフォーム済みの物件に住んでいること、赤毛のアンに憧れていたように、手作りのお菓子を作るお母さんに一瞬でもなれたこと、、、等々「望んだことが叶っている」のですが、叶えたいことが叶わなかった経験も当然あるわけで、その違いや理由がとてもすっきりとわかった気がしています。
まあ、なんでもいいってことです(笑)
自分自身がいい気分でいられる時間が増えました。
そして、こういう宗教的なことに批判的、否定的な人がいることも私にはよくわかります。それじゃあ、自分のことだけでいいのか?困っている人を助けないのか?ってね。
自分自身を徹底的に肯定した後にくる「人を助けたい」という衝動は、自己否定からくる「人を助けたい」とはまた違う感覚でやってきます。
その二つの違いが判らない間は、批判と否定されるのだろうと思います。
わたしはもう、依存も共依存もやったし、役所に働きかける運動もやりました。
今でもやろうと思えばできると思います。
その時は、きっと心から、やりたくなくなるまでやると思います。
このコロナ騒動を見て、心の痛むことも多いです。
だけど、そこに心を奪われて自分の生活を立ち行かなくする必要はないんです。
自分が困難に陥った時には全力で戦い這い上がりますし、そうするしかなくなりますし。(地震で経験済み)
瞑想をして、怒りをなくして、でも、今立ち上がっている有名な人もいます。
とても穏やかで、人の考え付かなかったことを実行して、とても素晴らしいと思って見ております。
わたしは、すべて自分で判断してやります。誰かがいいと言ったから、ヤバいと言ったから、というものはあてになりません。
そのおかげで、多様な方面からひとつのことを見ることができるようになりました。
この生き方も自分が望んだことなんだろうと思います。
みんな、そうなんだよね。
自己肯定のツールはいくつあってもいいなと思いますよ。
学校や家庭で自分を肯定できなかった人はどんどんやってみるといいと思います。
ちょうど時間がある人も多いでしょうし。誰にも会わずに簡単にできるから。
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ひとりになったので、家でポケカラができるんですよ!
楽しいけど難しい。自撮りと同じで、自分の声に慣れることができたらいいな。