無力にしないこと
少し肌寒い日が続きます。
温かくして自分をほっとさせていきましょう。
今朝もまた、自分が行ってきたこと、考えてきたことが
おおおよそ間違っていなかったことがわかりました。
わたしは、自分の怒りによって、自己主張を続けてきました。
未熟ではありましたが、それは、自分の無力からの脱出でした。
エイブラハムの映像を観た時に
私は何もおかしくなかったのだと思ったのは
「人が無力のままでいることを、大いなる存在は求めていない」というようなことを言われた時です。(意訳です)
無力=コントロールされる存在、であるということです。
人は、自分が無力であるとはとても思えないし、思わないことが普通です。
ですが、周囲が自分をコントロールしてくることで、無力な立場に置かれてしまうことがありますよね。
自分に力があることのほうが普通であり、力をもって行動し、力があることを確認するのが幸せなのです。
だから、怒りを抱くし、何とかしようと相手に対して攻撃することもある。
たとえそれが未熟なやり方であろうとも、それが第一歩なのです。
無力であることが、何よりも居心地の悪い状態なのは自分が一番わかっているはずです。
創造とは、自分の力を使うことだから。
わたしは、過去において、自分を無力から脱したいと願い
怒りによってそれを可能にしてきました。
私のパワーの源でした。
それを善悪で評価してきた周囲がいただけで
自分自身は、それによって力を取り戻し、自分の望む人生を創ってきたのです。
だからこそ、子どもを無力の中にいさせようとする親に対して
「好きにさせてあげて」と言います。
暴れることや怒ることを封じ込めることで
彼らをもっともっと無力にしてしまうからです。
どうすれば自分に力を感じられるかを、誰もが模索していらいらするものなのです。
権力を握っている親は、子どもをコントロールすることで力を感じているだけであり
自分の人生を生きているわけではないんだけど
だから、その意味において、その親は、いらいらして暴れる子どもとまったく同じ波長で生きていると思います。
自分の人生を生きていないいらいらを、子どもを従わせることで紛らわせている、という感じでしょうか。
自分が望む人生を自分で創っていくことが、私たちの仕事なのです。
何をしても安全であり、誰も傷つけていないし、誰も傷ついていない。
そのことがわかってくると、安心して色んなことができるようになるとは思うのですが
その前に「無力な自分」から力を取り戻さないとね。
自分に決定権がないと思っている状態で
愛だの自由だの、怒りは良くないなどと言っていては
鬱になってしまうだけじゃないのかしらと
わたしは思うのです。
あらゆるものから自由になり、誰かに決定権を渡すことなく
自分で自分を創っていく。
それが引き寄せの法則だと私は理解しています。
ほんと、ちゃんと理解したら、これはすごい法則ですよ。
政治も宗教もある意味否定している。
善悪で人を判断することも違うと言っている。
自分自身で生きていくことは、この世のシステムとは関係ないということです。
いったいいつ、わたしは、この考え方を知ったのだろうかと
いつも不思議に思います。
気が付いたらこういう人生を歩んでいた。
あとで理由が見つかっただけです。
自分の新しい次の一瞬を創るためだけに生きているのですよね。
自分を幸せにするのに、他人の評価はいらない。