課題はみんな違うから
昨日、とてもいいことをYouTubeで知りました。
それは「出かける前に自分を整える」ということです。
誰もが、嬉しいことがあってから「いい気分になる」ものですが
それを「あらかじめいい気分にしてから外に出てみる」ことにしたのです。
そして、外でちょっとイラッとすることがあった時も
すぐに「おっと元に戻ろうか」とスイッチを元に戻す。
すると、家に着くまでがスムーズになりました。
なかなかいいですよ。
お勧めです。
私は、これまで「人を愛しなさい」「人の言うことに耳を傾けなさい」「人のために何かをしなさい」と聞かされるたびに、お腹いっぱいになり、もう充分ですと耳を塞いできました。
昨日書いたように、幼い頃から、家族が私に求めることを必死でこなしてきたからです。
これ以上、他人の話まで聞かなくちゃいけないのか、誰もわたしの話を聞いてくれたことなどないじゃないか!という怒りでいっぱいでした。
母親に取り込まれていた私は、それどころではなかったのです。
全身全霊で両親を愛し、祖父母の機嫌を損ねないようにし、妹弟がわがままできるように「私がしっかりしていれば」と思っていたからです。
すると、学校に行っても何となくやらされることが増えます。
「この人、頼んだらやってくれそう」と思われるからです。
私も、できることならやりますよ、と引き受けてしまう。
許容量も怒りもいっぱいです。
その私の課題は「他人の仕事を引き受けないこと」でした。
素人のカウンセラーは「怒りを何とかしたほうがいい」と必死で言ってきました。
でもそんなの簡単にできないわけですよ。積もり積もった上に、まだ私に何かを要求してくるアドバイザーなんて、私には敵でしかありません。
私の怒りは「必要以上に人から頼まれたことをやってしまう」ことに原因がありました。私には、人の悩みを聴くことも難しくありません。また、人と人とをつないでしまうことも普通です。とにかく、生きているだけで「誰かのために」をやってしまう。
その分、怒りも溜まって、別の所で吐き出して・・・を繰り返していました。
子どもが小さければ子どもの心のケアもして、夫のやりたいこともさせていました。
「わたし」というものが、どこにもありませんでした。
あるとすれば、怒っている時だけでした。その時だけは「わたし」がいました。
仕事に就いて、何度も人間関係で躓きました。
そして、最終的に「わたしはできないことはしない」「無理もしない」「やりたいことだけをする」「他人の責任は一切取らない」と決めたところで、とてもうまくいったのです。
もちろん、私に何かをやらせたい人は怒りましたし、私を嫌っていましたが、そんなの関係ないわ!と無視しました。
自分の心の安定だけを見たのです。
今の私から見ると、愛のない行動だったかもなあと思いますけど
私の大事な宿題をやっていたのです。
当然、甘えてくる人もいました。これまで、いつも誰かにやってもらうことが普通、「できる人がやればいい、わたしはだってできないもん」の姿勢で生きてきた人です。
末っ子です(笑)
甘えることが上手な人は世渡りがうまいとよく言いますし
私にも「甘えることが下手なんじゃないの」と言われました。
でもね、どっちがいいとか意味ないです。
甘えて生きてきた人は、いつか「甘えさせてくれない人」に出会います。
それが課題だと思います。
甘えてきた人と、甘えられなかった人が、お互いに「線を引く課題」をやるんです。
わたしは、上手に甘えさせない方法を編み出す。傷つけずに断る術を見出すのが仕事。
甘えることを学ぶのが仕事ではありません(笑)
ですが、自分が自分のできることだけをやるようになると
自然と「できないこと」が明確になっていくんですよね。
で、そこは、甘えるのではなく「きちんと依頼してやっていただく」という方法でいけますよね。
甘えるのは、恋人とじゃれる時だけでいいでしょ?
私と一緒にいると、「甘えていいんだ」モードになってしまうので
息子も手放していきました。
仕方ないです。私はそういう人間ですから。
これが私には私の生き方がある、という意味です。
誰もが同じように家族仲良くヽ(^o^)丿をやるのでは、
人間に生まれた意味がありません。
ずっとひとりで生きている人には、その人なりのしんどさもあると思います。が、家族を手放して解散させる、それも自分の手で実行するというのは、とても大きな決心が必要でしたし、理解者も少ないだろうと思っているので、はっきりいってしんどいです!
それをやるまでに、ずいぶん葛藤しました。
普通の親になれるかもしれないと理想を掲げて頑張ってもみました。
だから、「普通の親になるためには、子どもを愛さなくちゃ、一緒に住まなくちゃ、一緒にいて腹を立ててはいけないんだ」と自分をさらに追い込みました。
だけど、わたしはわたしでしかありませんでした。
やっとそれがわかったのです。
誰もが同じ道をいくわけではない。
それに正解も不正解もない。
私が「こどもとうまくいかない」と悩むことそのものが、わたしらしくなかったということです。
悩めば誰かがアドバイスしたくなる。そのアドバイスは「子どもと離れなさい」と言ってくれるのが、私にとっての正解でしたが
ほとんどの人は、「こどもとうまくいくためには、お母さんが頑張らないと」という方向に流れていきますよね。悩んじゃダメだったんだって~~~。
そしてね。わたしは、子どもを信じているのです。
大丈夫だって。
私の子ども達だからです。
誰もが人生の課題を抱えて生きていると思うのですが
その課題は、決して「世間一般の人間像」に近づくものではありません。
もっともっとユニークで個性のある「わたし」に戻るためです。
思い出すためです。
人に頼れないことも私の長所であり、ユニークな部分です。
それをわざわざ、兄姉のいた人のように、同じように人に甘えて頼るようになっても仕方ないじゃありませんかね。
甘えるその人の迷惑さも知ってるんで(笑)
理想がその人ってことにはならないですよね~さすがに。
わたしは、私が理想とする人を目指すのです。
甘えが上手な人を理想に掲げたことは一度もありませんでした。
どんなに「あなたは生き方が下手ね」と言われても、です。
自分が「いい」と思えるように生きる。
それしかできないのです、誰もが。
そのために課題をこなしていくのでしょうね。
今日は満月です。
ベランダから木々の写真を撮ったらなんだか不思議な感じに映りました。
今日のお月様。