風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

誰もが自分の物語をもっている

 

 

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明日が満月だそうです。

 

今日は長距離ドライブ。

ドライブなら、ほぼ外に出なくて済むと思って。

車の中が自分の部屋と同じ感覚です。

その上、景色は動く。爽快。

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何かあるたびに、自分の中の傷に触れて

七転八倒する。

いつものことだ。

 

けれどそれは、誰かと比べていたのだなと今回は気が付いた。

 

別にいいじゃん。傷があったって。

古傷が傷むってなんだかかっこいい。

 

誰かに理解されたくて、わかってもらいたくて

必死だった時もあった。

結局、誰にもわかってもらえない感覚だけが残った。

その自分を丸ごと受け止めた時

はじめて私の心の端っこを観てくれる人が現れた。

 

大事なのは、理解されることではない。

今の自分のままで生きていけること。

今の自分はどうしたって過去の積み重ねなのだが

そしてその過去は、まるで万華鏡のように姿を変えていくのだが

不思議なことに、今の私のどこにも、その過去はいない。

 

だから、過去の物語は好きなように語ることができるのかもしれない。

 

わたしは、長い間、核家族で育ったつもりでいた。

ところが、最近思い出したところでは、核家族などではなかった。

私は、少なくとも祖父母や親族に囲まれて

微妙な心理的駆け引きが日常にあり

そのストレスを常に感じていたことを思い出した。

 

思い出した時はさすがに驚いた。

親戚とのあれこれが、まさか自分に影響を与えているなんて全く思ってなかったからだ。

盆と正月だけじゃなかった。生まれてからずっと私は、叔母家族と共に過ごしていたのだった。

 

だから、単なる長女だからとか、親が変わっていたからとか、そういう視点だけでは解決できなかったわけだ。

 

その疑問が解けてから、私は本当に楽になった。

今まで誰にも理解されなかった「理由」が私の中でわかったからだ。

他人が解説する「わたし」は、「わたし」ではない。

わたしのことはわたしにしかわからない。わかってたまるか(笑)

 

とても重いものを背負っていた。想像もつかないくらいに。

しかもそれは、もう私に何一つ影響を与えていない!ってことも同時にわかった。

過去が私に意地悪することはない。

 

親族から離れたかった理由がわかった今は

私のこの生き方をどうこう言う人に出会ってもびくともしなくなった。

これまでは「わたしって何かおかしいの?親戚ってそんなに大事にするものなの?」と不安になっていた。自分がどこか欠けているのかしらとびくびくして生きていた。

 

どこをどう切り取っても、わたしはあの人たちと離れることにしかならなかったんだ。誰がどう言おうが。それが自分を救う道だった。

 

これまでの道が明らかになった途端

これからの道は真っ白になった。

どこにでも行ける。

 

誰もが、自分の生きてきた歴史と他人を比べて、「あなたは変だ」とレッテルを貼ろうとする。だけど、誰もが、自分だけの物語を持っていて、それは誰にも否定できるものではないんだと思う。

 

みんな、どこにでも行ける。どんな自分にもなれる。

今の私は、はっきりとそう言えるよ。

 

過去を手放すということは、亡くしてしまうことでもなく、いい記憶に変換することでもなく、許すことでもなく、ただ「私の過去は私だけのもの」という気づきだけでなされた。

 

自分を丸ごと抱きしめること。過去も今も未来も。一緒に泣いて一緒に笑って。

 

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山に咲いている桜は、「ここに里がありますよ」という印なのだと何となく思った。

人が人の住んでいるところに植えるものだから。

明日もいい日でありますように。