わがままを貫く
めっちゃいい天気ですやん!
ドライブ行きたいわ~
けど、今日は洗濯が優先です(*´ω`*)
独り身になってつくづく思うのは
私の身体は集団に合わせるのに向いていないということ。
昔からそうなんだけど
準備するのに時間がかかるのです。
賢いからなんでもちゃっちゃとできるやろ、と思われてしまうので
余計に無理をして、必死で頭をフル回転させて生きてました。
どこをどう削れば早くなるかとか、みんなに合わせられるかとか
そんなことばっかり。
今では、朝も自分のペースで準備して
パンプスはしんどいから、靴を持って出て駅で履き替えて
走らない、慌てないを原則にします。
コートを着ることひとつにしても、私は人より時間がかかる。
そういう自分をまったく大切にしていなかったなと思うのです。
時間がかかるから着ないとか、慌てて雑に着るとか、気に入らない他のアウターを選ぶとか、とにかく「他人の時間に合わせること」を最優先していた気がします。
今の職場はとても学校的な部分があって
以前の私なら到底認められないこともあったりするのですが
一生これが続くわけじゃないことも知っているし
今が特殊なだけだということもわかっているので
やり過ごすことは簡単です。
「へ~今時こういう考えでやってるんだ~」「時代がそろそろずれてきてるんじゃあ・・・」と心の中で突っ込みながらもまた、楽しいものです(年の功だね)。
家族にしても学校にしても
とかく集団ってやつは、
個を潰してくるのが得意です。
そこをまっすぐに信じて大人になってもそれをやっちゃう人を見ると
今では痛々しいとすら思えます。
人権をまったく大切にしていない自分をすべて肯定した上で
「私のやってることは美しい」とすら思ってる。
ロボットみたいに見えちゃう。
でもそれは、羨ましいことでも何でもなくて
私の中にあるたくさんの経験と心にあるたくさんの傷が
宝物のように輝いているのがわかるから
そしてそれは、誰にも売れないしあげられないし味わってもらえないもので
私だけのモノなんだなあと思うと
「まっすぐに育たなくてよかった」としみじみ思います。
30代から40代にかけて
「この世の正しいとはなんだろう」がわからずに悶々としていました。
「これが正しい」「こういう生き方が美しい」・・・色んな人が色んな立ち位置で言ってます。それを全部試そうとしました。
だけど、他人の「美しさ」を取り込もうとするたびに
わたしは失敗し、傷つき、凹み、世の中を恨みました。
感謝する人がいいんだ、集団に合わせられる人がいいんだ、家族主義で生きるのが幸せだ、お金があることが正義だ、愛とお金が降ってくる人生が正解だ・・・・・・・ありとあらゆる価値を主張する人たちでお腹いっぱいになるどころか下痢してしまう始末。
どれもこれも、他人の価値観でした。
私の正解は私の中にしかなかったのです。
否定も肯定もなくて、ただ「そういう価値観がある」だけのこと。
乗っかる必要もないし、扇動されて躁状態になって踊らされることもないです。
若くてもそれがわかってる人もいれば、年配の人がテレビの価値観を追いかけていることもある。
相変わらず「夫を過去の虐待の傷から救えるわたし」にうっとりしている女がいて
一方で「男に癒してもらう!」と決意して自分を貫く女もいる。
日本にいる男女は誰もが傷だらけで、誰もが癒されたがっていて
「わたし、癒してあげる女」になりたい女は、実はそうやって自己肯定感をあげるしかできなくて、たぶん一人ぼっちになれない人だろうし
「私の弱さが男の力を発揮させるんだ」と思って弱さ全開で男に頼る女もまた、ひとりになるのが怖いだろうなと思います。
で、その「どっちかにならなきゃ幸せになれないよ」と脅してくる恋愛、結婚アドバイザーは意外と多いですよね。集団(二人家族も含めて)は、「ひとりぼっちはいけないこと、ひとりは嫌だと思う人間」を作るためにあるわけだから、当然だけど。
その人類が必死で確立してきた価値観と自分が合わない時の辛さは
なかなかのものがあるけれど
そこを通り抜けて自分自身を見出した時に「世界が変わる」のかもしれません。
ま、頑張って生きていこうな!