風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

3月が終わる

東京は雪だったそうですが

大阪はとてもいいお天気でしたね。

 

毎日アマプラで映画を観ています。

が、もう3月終わるやん!

 

働かないでいるのに慣れなくて

うだうだしてしまいました。

それでも、自分への発見が続いていて

いいのか悪いのかわからないです。

 

封印していた記憶が出てきました。

蘇るほどの強烈な「その時の何か」ではないのですが

これまで色々な人から指摘されてもどうしようもなかった部分は

記憶がぼんやりしているその頃に起因しているのだとわかりました。

 

自覚がないのでカウンセラーにも話したことないし

まさか、ここまでの影響を及ぼしているとは思いもよらず。

ほんの数年の出来事なんですけどね。

 

いや~普通の家だと思ってたし、普通の家族の歴史しかないと思い込んでた。

だから、普通の家庭で育った人と比べて自分はどうして・・・と悩んでもいました。

今さら過去のことをと思われる人もいるでしょうが

親のせい、環境のせいにするなよという人もいますけれど

悩んできたことの答え合わせができるってのは、一歩前進だと私は思いますよ。

自分に背負わされてきた重い荷物の正体を発見したら、あとは下ろすだけ。

 

父や母が背負うはずだった荷物を、私は代わりに背負ってきたつもりで生きてきたんです。その場から逃げても逃げても、自分の背中に荷物があるのに気づかなかったっていうわけ。

 

眼鏡を探してたら眼鏡かけてた!っていうのに似てる。

 

無邪気な自分が潰された時代があった。

自分が何をやっても喜んでもらえなくて、喜べない時代があった。

バリバリの被害者の近くにいるとね、喜んじゃいけないって思う。

自分だけ幸せになっちゃいけないって思う。

全部譲らないといけないって思う。

 

子どもだったから、それは傲慢だと知らなかったし、被害者の横にいる私のことは、誰も「弱い」と思ってくれなかった。

 

それが私の癖になった。

 

本当にしたいこととか夢とか、そういうの全部置いてきたんだ。

自分の弱さに対して「助けて」とか言えないんだ。

私より助けを必要とする人がいつも隣にいたから。

仕方ないやんね。

 

甘えて、助けてと言えるのは

自分より弱い人が横にいないからでしょ。

助けを必要としている人がいつも横にいたら

口が裂けても「私だって助けてほしいのに」とは言えないよ。

 

そこを自己責任と言われたら、もう倒れるしかないんじゃない?

 

で、わたしは倒れたんだけどね(笑)

 

本当は傷ついてなんかいない。誰もわたしを傷つけられない。

ってことは、頭ではわかる。

ただ、弱っている時に強さを求められ、精神的に追い詰められたことは間違いなくて、あまりのしんどさに、自分で自分を壊すことでしか解決できない気がしてきたことに対する癒しはまだ来ない。

 

3月のライオン」(前編)を観たんです。

あまりに心の深いところをえぐってきたので、途中で観るのをやめました。

 

孤児になった男の子が、将棋をやってる家に引き取られる。

その家の子は、男の子をいじめるけれど

やがて、その子が将棋の才覚を現して、引き取った義父から可愛がられることになる。

実の子である姉弟は将棋を諦めさせられる。

自分たちが諦めさせられたのは男の子のせいだと責める。

男の子は家を出る。

 

わたしは、どちらの立ち位置も経験したんだな。

 

これ以上、私がいることで兄弟たちが不快な思いをするのであれば、私が出て行けばいい。

そう思って実家を出ました。

 

素直に感情が出せる環境があるって幸せなことなんだよ。

何が自分の願いなのか把握できる自分でいることができるなんて、奇跡的に幸せなんだよ。

 

しばらく、昔の自分を救うことに時間を使うだろう。

あの時に壊れた自分の心を取り戻せたらどんなにいいだろう。

素直に自分の願いを心に描けるくらいに戻りたいんだけど。

もう

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、幸せになっていいんだよって。