風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

物語があるから

秋晴れの連休初日。

いかがお過ごしでしょうか。

 

朝晩と、昼間の気温差が激しすぎ

何を着ていいか迷う毎日です。

 

さて。

 

人生は物語だと思いませんか?

現実を粛々と生きていると、そう思えないこともあるかもしれません。

でも、振り返ってみると、大きな物語を紡いでいる。

ということに気が付けるといいなと思うのです。

 

わたしは「語り」による「癒し」が好きです。

自分の話を語ることで癒される、というものです。

そこには、他人からの「こう思いなさい」というものがなく

ただただ自分が感じたことを語るのみ。

 

たくさんの人の語りを聴いていると

誰もが主人公であり、かけがえのない経験をしていて

何一つ間違ったことなどないのではないかと

わたしには思えるのです。

 

だから、どんなトラブルであろうが、「次どうなるだろう」というページをめくるような気持ちでいることもできるのです。

「大変だ」「わたしはどうなるのだろう」と悲観的になるかもしれないけれど、それに対して「そんな風に思うな」だとか「こうすればよくなるよ」という他人からの(いわゆる物語の外野からの突っ込み)がどれだけあろうとも

人生の筋書きを描けるのは、自分だけです。

 

しかし、往々にして、困難に対しての正解を他人に求めるあまり

「正解を言ってあげることが親切であり、わたしがその真実を語ってあげよう」という他人を目の前に連れてきてしまいます。

 

そうすると人生は硬直してしまう。

 

自分の人生が、物語ではなく、正しいか正しくないか、の視点でしか読めなくなるからです。

 

その人の物語が動き出すことを手伝うとするのなら

「これはダメ」「あれはダメ」「こちらが正しい」という突っ込みはいりません。

 

わたしはそういうことを幼少期に本から学んできたようです。

みなが、先生や親の言うことを「正しい」と思い込んで、言うことを聞くか反発するかのどちらかしか選べない時にも「その考えあり得ね~」と感じていましたし

芝居がかったことをみんなでやってるのは何故だろう、どうしてそこに自分は参加できないのだろうと考えていました。

 

「正解」が好きな人は、私のことが苦手です。

 

それはとてもよくわかります。

 

考えさせるから。違う方向から光を当てるから。色んな物語を思いついてしまうから。

それは、正解だけで生きていきたい人には迷惑なことなんでしょう。

 

強制的に何かを信じさせようとする働きというものが、どれほど害であるか。

可能性をどれだけ潰してしまうか。

ということに想像力が働かない人は、信じる、信じさせるのループにハマり続けるのかもしれません。

 

聖書も神話も、「物語」であるからこそ、生き残ってきたのです。

これがノウハウ本なら、今頃どこかに埋もれているか、誰かがそれを書き換えてしまっているに違いありません。

 

読み物として面白く、いくらでも自由に解釈でき、自分の人生を豊かにしてくれるものしか、私は受け入れられないようです。

 

教え、教えられるだけの関係性になってしまった途端、そこに自由はなくなってしまう。

 

学校教育の浸透によって、「教えること」「伝えること」がコミュニケーションだと信じてしまい、相手との対話によってお互いが成長しあう関係を放棄しているような人たちを見ると、日本はどこに向かうのかしらと心配してしまいます。

 

対話しているつもりでも「私の生き方はこうだから、これが正解よ」と言い、それに対して賛成してもらえることを「交流」だと思っているように見えることもあります。

 

相手が自由に想像し、その想像を決して否定しないあり方こそ、対話の第一歩なのではないかと私は思います。

 

ブログを書くこと=教えてあげること、教えられる内容を書くと売れる

みたいなのがあって

私はそれが嫌で、こうして読者数を気にせずに書きたいことを書いています。

 

「みんなが知りたいこと」=正解

みたいな空気に少しでも風穴をあけて

そうじゃない、風通しの良い場所になればいいなと

日々の生活の場でも同様にふるまっています。

 

そうするとね、誰もが自分だけの人生を語りたくなるものなのですよ。

正解や不正解を告げられる場所では言えないことを伝えてくれますよ。

そこから学べることの大きいこと!

 

お金儲けのやり方をいくら聞いたって人生は豊かにならないけれど

一人の人の波乱万丈の人生を聞くと

魂が震えます。

 

人生で何を積み重ねたいのか。自分の中にどのような感動を与えたいのか。

それがはっきりしてくるのが、人生の後半かもしれません。

 

子どもたちが、これからどんな人生を描いてくれるのか。

わたしには楽しみでしかないのです。

「こうなるだろう」「こうなってほしい」という期待で他人を見ると

辛くなりそうで、私は苦手です。

 

ハロウィンに関することを何もしていなかったので

10月30日の帰りに「パンプキンプリン」を買っていたので

息子と二人で食べました。

 

それだけのことが、当たり前に幸せです。

 

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