体と心のこと
今日は一日秋晴れでしたね。
わたしは、ゆっくりしていました。
自分って体が弱いなあと思って
そのことで、満足に生きることができない自分を
ずいぶん責めていた気がします。
さっきまでそうでした。
自由に飛び回れる体があればと思ったものです。
だけど、この自分を押し込めてるのはたぶん自分で
無意識に檻を作り上げてたんじゃないかと気が付きました。
年齢の割に、元気に働いてるほうですしね。
さて。
もうひと踏ん張りしましょうか。
先日行ってきたパワースポット
そして羽生選手の優勝!テレビにがぶり寄りで見て、涙出ました。
美しすぎる試合でした。
彼自身がすでにパワースポットじゃね?
神様に愛された人は、きっと想像もできないぐらいの孤独と一緒にいるのだろうと思うのです。「色んなものを諦めてきた」とインタビューで読んだ記憶があります。
悲しいぐらい美しかった。
国を超えて愛される人ってなかなかいない。
羽生選手を観るだけで、心に何かが起きる。それは、言葉ではないし、説得でも説教でもない。そこに、素晴らしさがあるなあと私は思います。
生きざまで自分を表現すること。
べらべらとしゃべらないこと(こうしたらいいとか、このほうがいいとか)。
流行りの言葉で理解した気にならないこと(投影とか自己肯定とか)。
体得したものは減らないし、観たらわかるって。
わたしには、わかるよ。
たくさんの人と出会って、人の歴史は、体に刻まれる。そして顔や言葉や態度に現れるということが、わかった。
今も、どうしても思ってしまう。
私が3人分の子育てをしている年月、仕事をしていれば、どんな結果が残せただろうかとか、部下もいただろうかとか。けど、子育てしている間にも、人に会い続けてきた私は、仕事をしていたら知らなかった世界や、出会えなかったであろう人たちに出会えた。
仲間になれなかったし、友達として続くこともなかったけれど
私の役目は、そこじゃなくて、多種多様な人に出会うことだったんだ。
人間を見る眼を養った。
思い出だけでご飯が食べれるくらいには(笑)
体の不自由に飲み込まれないで、これからも出会っていく。