風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

毒親の取り扱い

台風の被害、大変ですね。

わたしは、なかなか寝られませんでした。

Twitterでつぶやきを追っていると

去年のことを思い出したりして。

 

どうか、おひとりおひとりの気持ちが

落ち着きますよう祈っています。

 

さて。

 

いまさらですが、毒親問題。

最初は、アダルトチルドレンという、自分自身への問題だったはずです。

ところが、親を「毒親」という名前に仕立てあげたあたりから

なんだかおかしな方向に行ったなあと私は思いました。

 

アダルトチルドレンというのは

問題のある親に育てられた「子どもがどう生きていくか」の問題でした。

ところが「毒親」という名称には、「その後の生き方」よりも

「親への批判」が中心であるように思われます。

 

問題のある親に育てられた・・・そのことに対して

批判したり、親と縁を切ったりすることを肯定する自分自身になる、のが

アダルトチルドレンという名前から発生したことであり

問題のある親をみんなで非難してくれ・・・というのが毒親という名前の由来かなあと思うのです。

 

この二つは、似ているようで全く違います。

親を見ているのか、自分を見ているのか。

 

自分自身を見ていくと、親を非難することはあっても

また自分自身の生き方をも振り返ることにより

より深く自分と親の理解をしていく過程になるはずです。

 

ところが、「毒親だよね、うちの親は」というと

そこで思考停止していまい

自分を棚に上げて、ひたすらに、親の欠点を描きまくる漫画が生まれたりする。

 

自分を棚に上げるのが悪いとは言ってないです。

それを世間に向けて表現することの危険性です。

 

不適切な養育が行われたことによって

自分自身の人生はどうなったのか、

そして、これからどうすればいいのか。

ある時は、親と喧嘩し、ある時は、親を非難し、そして、それから。

 

毒親を悪の権化のように描いて、自分を被害者として世間に開くのか

毒親から学んだことを自分の育児に生かしていくのか。

 

「適切な育児とは何か」と、必死で親を教育する人もいるようだけど

いったい「適切な育児」なんてあるのかと

私は、思うのです。

 

暴力を受けて育っても、それに対して疑問を持たない人は

何も考えずに子どもにまた、暴力を振るう。

そして、何も誰にも相談しない。

それに引き換え、自分の親が毒親だと気づいた人間は

いちいち悩み、いちいち相談し、相談先からボロクソに言われて

自尊心を奪われていく。それがまた、子育てに反映してしまう。

 

私自身が、いちいち悩んで相談してぼろぼろになり

「いったいどうなっているのだろう」とふと、思った時

「気づかないもの勝ちじゃん」てね。

いじめっ子が大きくなって、カウンセラーになっちゃうみたいな話がごろごろしていることを考えると、この世の中っておかしいな、と思ったものです。

 

だけど、今思うと、私は親が不適切な育児をしたんだと気づいたことで

自分自身が成長したし、学びも大きかった。

何より子どもたちに暴力を振るいそうになる自分を自覚して抑えることもできた。

 

それは、世間的にどうとか、相談してもしても誰からも認められないとか、そういう悔しさを越えて

「こんな自分になって、よかったな」と本気で思うんですよ。

 

わたしは、子どもを叩く親になりたくなかった。子どもに何かを強制して、子どもを曲げることはしたくなかった。

結果的に子どもがどう思っているかは全く考慮に入れずに。

「自分が”したくないこと”はしなかったよ」約束は守ったよ。

 

どんなに子どもに理不尽なことをしても

立派に育つ子供はいるし

そういう親を見て、自分がとても損をしたように思った時期もありました。

 

だけど、そうじゃないんですよね。

自分のことが嫌いになるようなことをしなかった。

それが自分の人生で一番大事なことだったと思います。

 

人生って、親にどう育てられたかも大きいけれど

そんなことに関係なく、事件はやってくるわけで

親のこともその事件のひとつだったのかな~みたいなね。

だから、起きてしまったことを、自分の中でどう処理していくかが

その後の自分自身を形成していくんです。

 

毒親」の中に、社会が親に与えるプレッシャーとか

女親だけに課される理不尽なこと、子どもの性質、性格、様々なものが含まれていて

だから「正しい親」などこの世にいないし、「正しい子育て」もどこにもない。

 

あるのは、少しでも子どもが幸せでありますようにと願う自分自身の気持ちだけ。

自分の子育てを貫いて、後悔もすべて自分の中に納めて生きていきたい。

 

私にとっての親は、背の高い、高すぎる跳び箱で

怖くてその前で立ちすくんでいたけれど

飛び越す練習を何度もして、飛べることがわかった!みたいな感じかな。

 

跳び箱をもう非難することもない。

 

親も子も、自分とは違う人間だから、自分自身がどう生きるかだけを真剣に考えたらいいんちゃうかなと思う。

 

私は、毒親がどうしてそうなったかが知りたいなあと思った。

だから、そこは考え続ける。それもまた、私の人生。

 

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