自律神経が狂ったおかげで
今日一つある決心をしました。
今までは「頑張れるはず」で生きてきたのですが
頑張らないことにしました。
私には、勝手ですが、励まされてきた3人の女性の存在があります。
著名な方々で、当然本を読んだだけですが。
私とは世代も背景も違いますが、その著作から何度も勇気をもらいました。
先日、田中美津さんの本を読んでいたところ
とても身体が弱いということが書いてありました。
私の印象では、とてもエネルギッシュな方だと思っていたので(昔も読んだ気もするけど)びっくりしたのです。
私自身もエネルギーはあるけれど、身体は思うように動かない人生でしたので、引き込まれるようにその部分を読みました。
やりたいことが山ほどあっても、身体は思うように動かない。
それがどれほど悔しいか。
わたしは自分自身の身体を憎んでいたし、怒ってもいました。
だけど、約半年休憩をして、この身体を中心にして、仕事をしていこうと決心しました。
身体が休むことを望んでいるのに。
ここで、子育て期で辛かったことをふたつ書きますね。
今ではそんなことを言う人のほうがおかしいんだけど、というようなことです。
今になって、私は自分が間違ってなかったと言えるのですが、若かったのでね。
理解されないことが理解できずに、孤立してたなあと思います。
上記にあるように、私はそもそも自律神経がおかしいし、育児を一人でできないとわかっていたので、共働きをして、保育園に子どもを預けることを選び、家事育児を普通に担ってくれる男を夫として選びました。
その選択に間違いはなかったと思います。
保育園では、家事育児を普通にこなす夫を見て、「あなたは旦那さんに感謝してる?」といちいち絡んでくる人がいました。
ママ友だけでなく、保育士でさえ、そうでした。
私にとって、自分一人で育児をすることは倒れることを意味するし
男が家事育児をすることに対してだけなぜ感謝しなければならないのか理解できませんでした。
母親同士の友達はできそうにないなあ・・・長男の育児の時にそう思いました。
「夫に無理やりやらせよう」という運動をしたいわけではなくて(笑)
ただ「色んな家庭があるよね」というあっさりとしたものの見方をしてもらいたかったというだけなのにね。
保育園時代は「夫に家事育児を手伝ってもらってる、頑張ってない母親」というレッテルを貼られているようで、常に気持ちが落ち着かなかったです。
あの頃は「専業主婦にあれこれ言われないように母親は頑張るべき」ってのがあったのかなあ。保育園側にも。預ける母親にも。
そして、もう一つは、私は子どもには絶対に手を挙げない、暴言を吐かないっていうのを自分の中でルールとして持っていたのですが
それを理解してもらえなかったことです。
子供が成長してからも「あなたが素直に子どもに怒らないのが問題」だと言われたことがありました。
虐待された経験のある人なら「子どもを叩くのはやめて」って言いますけど。
子どもを自分の感情次第で怒らないという、普通のことを責められるとは思わず、(だからこれも、勘違いされるんですけど、認めてほしいわけじゃないですよ、だって普通のことじゃないですか?)びっくりしてしばらく放心状態になりました。
「共働き&夫が家事育児をする」ことで、女性が責められる。
「子どもを感情的に怒らない、虐待しない」ということを責められる。
という日本ならでは?の不思議な現象に出会って
私は、同じ女性であっても信用するのはとても難しいのだと思ったことを覚えています。
同じ価値観の女性が周りにいない、という孤独感はどんどん強くなり
私はもっと広い世界に出れば、わかってくれる人がいるはず!とあちこちに顔を出すようになりました。
だけど。その当時はどこに行っても理解されず。
20年早かったんですよね・・・
どこに行こうが、日本の女性は、「男に育児も家事もさせない」って頑張ってるし、子どもを自分の思い通りにしようとして怒鳴ることが普通で、そうじゃない親に対して「甘やかしてる」と言う。
もっと確固たる自分があれば、世間の声に耳を傾けることなく、明るく楽しく育児をすることができたのかもしれない。
でも、どんなに悩んでも、この二つは譲れなかったので「私は理解されないんだな」という結論に至るのでした。
そうやって自分と世間の乖離に苦しんでいたせいか
やっぱり身体は疲れてくるし、何となくすっきりしない日々。
その積み重ねが今になってドン!と来たなと思ったりしています。
子どもの不登校も、夫とのあれこれも、誰かに話せば話すほど孤立感しか得られなかったので、今じゃあ誰にも何も言わず、気楽に自分の道をまい進しているところなのに、身体は正直に悲鳴を上げる。
実家でも、私はすぐに寝転んでしまう(体を起こすだけの体幹が育ってなかったし、たぶんその頃から自律神経失調症と貧血でしんどかった)ので、親にとっては理解できない子どもだったみたいです。
「普通を求められすぎる」この国で、生きていくハードルの高いことったら。
だけど、やっと普通を目指す生き方から降りられそうです。
人生の後半戦。好きなように、身体を労わりながら、生きていこうと。
「仕事決まったらいいね」「がんばって」という声を無視するのが大変だけどwww
頑張るのは、この身体を抱えて生きることなので、外で働くことに頑張るつもりはないです。
覚悟したらなんだか楽になったかも。
男が家事育児することも、子どもを虐待してはいけないってことも
ふつうにふつうになるといいのにねえ。