いつの間に
わたしたちは幻の恐怖を抱えている。
幻想なのに、信じて震えてる。
わかっているのに、怖いと思うことをやめられない。
今日、急に怖くなった。
ある人を見て血の気が引いた。
来ないはずの人と、私が苦手な人が一緒にやってきたのだ。
冷静に考えれば、今は何も言われていないし、何かを話したいという希望もうかがっていない。何も恐れることなく3時間をやり過ごせばいいはずなのに、足の震えが止まらないのだ。
わたしは、その恐れを眺め続けた。
なくならなかった。まるで、心臓と足に何かの記憶が埋め込まれているかのように
頭がどんなに「大丈夫」と言っても、聞いてくれない。
そして、その時間が終わる間際に出た!
「怒ってるで!」って。
私の場合、怒りを自覚すれば後は簡単。吠えたらいいだけ(笑)
何度も何度も冷静にキレてる自分を妄想する。
たとえあちらから来られたとしても、堂々と笑顔で、でも目が笑ってないっていうのをやってやる~~みたいな。
その後、実際に、仲間にぶちまけてちょっと慰めてもらったら、どうでもよくなった。
別に同意してもらいたいわけではなくて、怒りを聞いてくれたらOKだったので。
恐れで震えているよりも、怒りでぷんすかしているほうが気持ちいい。
なので、そっちに切り替えていたら、そのうち消えた。
午後からは、私が仕切る研修である。
みんな、乗ってくれて、気持ちよく終わることができた。
あの震えがどこから来たのかは、今でも興味ある。
どうして怒りが恐れになるのかも興味ある。
心臓と足にどういう記憶が残っているのかも。
(最後は喉だった)
震えていた時、助けてくれたのは、あらゆる知人友人の記憶だった。
「あの人の強さをダウンロード~(番長みたいな人だからw)」とか
「あの人は、こういって乗り切ってたな」という記憶とか
ありとあらゆる記憶を総動員して自分を救った。
そして、その場にいる仲間にも助けてもらった。
昔、わたしはひとりぼっちだった。
ひとりで恐怖と戦って引きこもっていた。
いつも誰かに何かを言われると思って(実際に私にキレる人多数だった)びくびくしてたし、その時に「助けて」と言える人もいなかった。
「依存するんじゃないか」「どうせわかってくれないし、批判されるだけだし」と思ってた。恐怖の内側の怒りを出したら、取り合ってもらえない気がした。
でもさ~今は聞いてくれる人がいるんだよな~それを。
すごいよね。
研修中、表情が固い人が一人いた。
今日はこの人を和ませたら勝ちって思って、交流会に笑える話をして始めたら
交流会の最後に一番しゃべったのはその人だった(*´▽`*)
怖かったことも足が震えたこともすべてがチャラになった!
たくさんの人に支えられて今がある。
自然にありがとうと思える。
記憶の中のあの人にも、今関わっているみなさんにも、心からの感謝を。