自分をほったらかさない
友人が「一万人の第九」に出るので、ネットの生配信をずっと観てました。
最初から最後まで「第九」を鑑賞したのは初めてかもしれない。
年齢を重ねたせいか「ベートーベン半端ね~」と思います。
どこからこの音楽が降ってきたんだろう。
わたしは、家族とのコミュニケーションより、音楽とのコミュニケーションのほうが長いかもしれない。どれだけの音楽が私の中に入ってるんだろう。
生きづらい人生だったけど、蓄積された音楽と物語りが私を救ってくれたんだと深く感じる今日この頃です。
今、ある場所の宿題で自分の歴史を書いているんだけど
驚いたことに、わたしずっと外に出されてることがわかってしまった。
しっかりした家族に見えていたけれど、
祖父母の家に預けられたり、保育園に入れられたり(母は働いていないのに3歳から保育園、しかもお弁当付きで午後まで)、小学生から習い事で土日も家にいられなかったし、母親にとって、私の存在ってなんだったんだろうなと思う。
可愛がる気持ちなんてなかったのかもしれないね。
だから、家族と一緒にいることに慣れない。キツイ。
歴史を振り返ると、家族の集団に入れてもらえなかった自分がそこにいて、ぽつんとひとりでいる私がいた。
しがみついても頑張っても、「あなたはいらない」って言われてる気がしてたなあ。
息子たちは、家から一歩も出ないけどそれって私の願望だったのかもしれないね。
やっと私自身は本来の自分になってる気がします。
そもそも、ひとりだったんだしね。
結婚して家族ができたことで、必死で自分の中にないものをかき集めて家族になろうとしたなあっていう感覚です。
だから、普通の家族の在り方とは全く違うものを創り上げてしまったし、客観的で冷静な母親になったのかもしれません。
この「家族ごっこ」という仕事をとりあえず、一段落させたから、これからは自分自身と共に生きていけばいいかなと思っています。
やっと、誰の目も関係なく、遠慮なく、やりたいことができるよ。
自分という相棒と共に