甘やかしとは
秋晴れの一日になりそうです。
暑いんですけど・・・。
うちはよく「おうちの居心地がいいから家から出られないのでは」と言われまして。
まあ、そうかなと思ったものです。
そして「あなたたちは、虐待好きだね」と思っていました。
厳しくして、家から出たいと思わせれば学校に行ってくれるって。。。
どんだけ学校に魅力ないねんって話ですやんか。
学校に魅力があれば、家が居心地が良いほど、学校に通いますよ。
虐待傾向の家の子どもが「仕方なしに」通う学校か~~~。やだね!
占い師でも「厳しいことを言いますが」と言う人がいて
とても残念だなと思うことがありますね。
わざと、相手にかまして、自分のほうが上だと思わせて
そこからしか伝えられないなんて、悲しくないですか。
結局、再生産されてるんです。
親が、大人が、自分の傷を癒さないまま、誰かを癒そうとする。
そこには、自分がされたような「厳しさ」をわざと与えることで
自分の「癒し」に効果があるかのように演出できるというものがある。
甘くなくても甘く感じられるように。
「甘やかす」ことが嫌いな人たちは
どこかで虐待を求めてるのだと私は思います。
「俺が社会の代わりに厳しくしてやってるんだ」というわけです。
そうしたいんですよね。
母親ががみがみ言うのも同じです。
誰もあなたに厳しいことを言ってくれないよ、って。
別にしなくていいと思いますけど。
その延長が、度を越した躾であり、虐待になるのですが
その境目が誰にもわからないのは、そもそも「甘やかすのはいけないこと」という価値観で染まっているから。
ねえ、今、生き残っている人たちの子孫ね。
元華族やら、大きなお屋敷を持ってた人たち、政府とつながりがあった人たち。
そういう人たちが活躍してますよね。
何世代前かわからないけれども。
「苦労したことがなかった人たち」が一時苦労しても、どこかで挽回できるのは、「苦労したことがない」という経験があるからです。
「苦労しない」という経験はすごいなと私などは昔から思っておりまして
わざわざ幼児期に苦労する必要なんてないのに
どうして「苦労を与えることに喜びを感じるんだろう」と思うんですよ。
やりたいことはやるんだし、それに努力はつきものですから
人は皆、それなりにどこかで「やらなきゃならないことはやる」んです。
そういうことを信じられないから「甘やかしてはいけない」「早く苦労させておかねばならない」と思い込み、意味もなく、校庭を何周も走らせたり、宿題を山ほど出したりするのかなと私は考えています。
「あの時苦労したから」の苦労って、やっぱり運命だし、それを子どもに「わざと与える」ことなどない。子どもは子どもなりにどこかで苦労するのですから、やって来た時に、自分を肯定して乗り越えれるようにするためには、やっぱり幼い頃の自己肯定感が必要かなあと。
わたしは、子ども達を十分甘やかしたので、20歳を超えた今は「あなたたちは大丈夫だよ」と放り出せました。苦労させてない分、人に優しいし、自分にも優しい。自分を罰する行動をしないので、安心して外に出せる。
わかるでしょうか?
自分に厳しくて休めないような人間に育てちゃったら、そらもう、心配で心配で夜も眠れないです。うちは絶対にそれはない(笑)
「なんかあったら泣きついてきてほしい」「母親を頼って欲しい」と思うのなら、厳しく育てていいかもしれないですね。
「おれは母親がいなければやっていけない弱い人間だ」と思わせるだけの厳しさをとことん与えていればよい。
そろそろ虐待はやめませんか。
もう流行らないし、育っても毒親にやられた毒を何とかしない限りしんどいし
そのためにお金も時間もかかります(経験したから言う~w)。
それもまた、私の経験値ではあるのですが、「甘やかしはダメだ」という論調にはまったくついて行けないので、そういう不登校支援をしております。
さて。
抽選行って来よう。