風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

甘やかしとは

秋晴れの一日になりそうです。

暑いんですけど・・・。

 

うちはよく「おうちの居心地がいいから家から出られないのでは」と言われまして。

まあ、そうかなと思ったものです。

そして「あなたたちは、虐待好きだね」と思っていました。

 

厳しくして、家から出たいと思わせれば学校に行ってくれるって。。。

どんだけ学校に魅力ないねんって話ですやんか。

学校に魅力があれば、家が居心地が良いほど、学校に通いますよ。

 

虐待傾向の家の子どもが「仕方なしに」通う学校か~~~。やだね!

 

占い師でも「厳しいことを言いますが」と言う人がいて

とても残念だなと思うことがありますね。

わざと、相手にかまして、自分のほうが上だと思わせて

そこからしか伝えられないなんて、悲しくないですか。

 

結局、再生産されてるんです。

親が、大人が、自分の傷を癒さないまま、誰かを癒そうとする。

そこには、自分がされたような「厳しさ」をわざと与えることで

自分の「癒し」に効果があるかのように演出できるというものがある。

甘くなくても甘く感じられるように。

 

「甘やかす」ことが嫌いな人たちは

どこかで虐待を求めてるのだと私は思います。

「俺が社会の代わりに厳しくしてやってるんだ」というわけです。

そうしたいんですよね。

 

母親ががみがみ言うのも同じです。

誰もあなたに厳しいことを言ってくれないよ、って。

別にしなくていいと思いますけど。

 

その延長が、度を越した躾であり、虐待になるのですが

その境目が誰にもわからないのは、そもそも「甘やかすのはいけないこと」という価値観で染まっているから。

 

ねえ、今、生き残っている人たちの子孫ね。

華族やら、大きなお屋敷を持ってた人たち、政府とつながりがあった人たち。

そういう人たちが活躍してますよね。

何世代前かわからないけれども。

「苦労したことがなかった人たち」が一時苦労しても、どこかで挽回できるのは、「苦労したことがない」という経験があるからです。

 

「苦労しない」という経験はすごいなと私などは昔から思っておりまして

わざわざ幼児期に苦労する必要なんてないのに

どうして「苦労を与えることに喜びを感じるんだろう」と思うんですよ。

 

やりたいことはやるんだし、それに努力はつきものですから

人は皆、それなりにどこかで「やらなきゃならないことはやる」んです。

 

そういうことを信じられないから「甘やかしてはいけない」「早く苦労させておかねばならない」と思い込み、意味もなく、校庭を何周も走らせたり、宿題を山ほど出したりするのかなと私は考えています。

 

「あの時苦労したから」の苦労って、やっぱり運命だし、それを子どもに「わざと与える」ことなどない。子どもは子どもなりにどこかで苦労するのですから、やって来た時に、自分を肯定して乗り越えれるようにするためには、やっぱり幼い頃の自己肯定感が必要かなあと。

 

わたしは、子ども達を十分甘やかしたので、20歳を超えた今は「あなたたちは大丈夫だよ」と放り出せました。苦労させてない分、人に優しいし、自分にも優しい。自分を罰する行動をしないので、安心して外に出せる。

わかるでしょうか?

 

自分に厳しくて休めないような人間に育てちゃったら、そらもう、心配で心配で夜も眠れないです。うちは絶対にそれはない(笑)

 

 

「なんかあったら泣きついてきてほしい」「母親を頼って欲しい」と思うのなら、厳しく育てていいかもしれないですね。

「おれは母親がいなければやっていけない弱い人間だ」と思わせるだけの厳しさをとことん与えていればよい。

 

そろそろ虐待はやめませんか。

もう流行らないし、育っても毒親にやられた毒を何とかしない限りしんどいし

そのためにお金も時間もかかります(経験したから言う~w)。

 

それもまた、私の経験値ではあるのですが、「甘やかしはダメだ」という論調にはまったくついて行けないので、そういう不登校支援をしております。

 

さて。

 

抽選行って来よう。

 

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