風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

言葉と気持ち

今日の秋晴れは最高でした。

 

「最高」って言っても通じないかもしれない。

これは「私の中の言葉」だから。

だから、小説家は必死でいくつもの言葉を並べて、「ここにふさわしい言葉を」書く。

けれど、それが通じるかというとそうでもないよね。

 

田舎に行くと、田舎だけに通じる皮肉があったりするけれど

それも「内輪の言葉」だから、外から来た嫁には通じない。

だけど、その「内輪の言葉」が通じないことに、意地悪したりして、「通じるように」仕向けていくってのがよくある話。

 

子育てもそうだよね。

皮肉を言って「お母さんがこう言う時はこの気持ちだとわかりなさい」と暗に伝えたりする。訓練するんだよね、家族の言葉は、説明しなくてもわかってあげなくちゃならない。

 

わたしは、そういうこと全部が「嫌い」でした。今も「嫌い」です。

 

自分の言葉が無条件に「いい言葉」としてとらえられるように、相手を訓練するのは、マジ宗教ですから。

どんなに罵詈雑言でも「お母さんが言ってくれたから、そんな意味じゃない」「先生はそういうつもりじゃない」と思ってほしいって?って思うのね。

 

私がけっこう何度も同じことを繰り返して言うのは

「伝わって欲しいから」だし、「何も言わなくても同じ気持ち」だと勝手に想われたくないから。

 

身体が感じること、心で感じることに「言葉」は無理なんです。

言葉を使ったとたん、それは「頭を使っている」ので、純粋な気持ちではなくなっている。その言葉が本当にその感覚を表していると思ったら大間違い。

でも、相手と共有したくて何とか言葉をひねり出そうとすると「頭で考えてる」と注意されたりして戸惑うよね。

 

どんだけ語彙が少なかったらそうなるの?と思う。

語彙の少ない古代の人間ならともかく、繊細な気持ちを表す言葉がたくさんある中で、ざっくりした感情を伝えて「そうだよね」って言われた時のがっかり感は半端ないです。

 

みんな、乱暴すぎるし、勝手に感情がわかってもらえてると思いすぎ。

いいなあ~そんな分かり合える小さな村で生きてるだけでいいなんて。

 

生まれてこのかた、通じたと思ったことないんですけどね。

 

その点、整体師さんや鍼を打つ人たちは、身体と会話してくれるのでとても楽です。

体に触る人とは、しゃべらなくていいから。

そして、そのまま通じ合える。

 

Twitterは、「分かり合えないことが前提」でつぶやかれているから、見ていて疲れることはないんだけど、FBだと「分かり合えることが前提」だから、「違うし」って思っても難しい。インスタは画像だけで、ちょっとつまんない。

 

そういう感覚。

 

例えば、ほんとに例えばだけど。

イギリスから単身日本に来て、少しは日本語がわかるけど、ニュアンスがわからず、相手にも伝わらない時に「もし、分かり合えるとしたらどうですか?」と聞かれたところで「知らんがな、ここ、イギリスちゃうし」でしょ。

イギリスが芯まで沁み込んだ人間が、日本で「分かり合えることが普通になる」とか一生あると思えないでしょ。

イギリスに戻らない限り。

私の感覚ってほんと、そういう感じ。

 

ずっと探し続けてる。自分の祖国を。

 

でもまあ、なんとか文化にも慣れつつあって、みなさんの思い込みや風習にも馴染んできて「こう来たらこう返す」のも技術として身に付けてきたんだけど、やっぱり「同化したらいいのに」的なプレッシャーをかけられそうになって辛いです。

 

「ここを癒したら私たちと同じ感じ方になるよ」って言われたってねえ。

わたしは自分の国で、何の心の葛藤もなく、素のままでリラックスしたい。

ただそれだけなのです。だから、たまには一人の時間がとても必要だし、集団にいるより、言葉のない瞬間を一緒に過ごせる相手が必要です。

 

もう言葉を尽くすのに疲れたかもしれない。

 

気持ちは言葉にならない。

 

言葉で聞きたければ、少し待って。

自分の気持ちにフィットした言葉を用意するから。

 

それが待てない人とは話をするのは難しいのです。

 

あ~整体行きたい。踊りたい。身体で話したい~~~。口でしゃべるのん、マジで疲れる。書くほうがずっと楽です。

うん、書くと、言葉がすっと出てくるみたいな気がする。

指から出てくるんかな。

 

不思議ですね。

 

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