風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

与えなくていい

 ちょっと過激だったでしょうか。

 

昔はよく信じてたんですよ。

「現状を変えたければ自分から与えればいい」って。

私が今思うこと、それはね、自分が気持ちよくなるだけ。

 

与えれば返ってくるものが必ずあります。

嘘でも「ありがとう」とか。

だから、与えるのが好きな人になっていきます。

 

私が世の中を見ている中では、

与えるのが好きな人は、「怒り」や「辛さ」も他人に与えちゃうんだなあ。

 

特に、人の前に立って「与える立場」になっちゃうとね。

自分が思うこと、気づくことが全部正解で、目の前の「生徒たち」に「言ってあげなければ」と思うみたい。

 

検証する前に、確かめる前に、個人的な経験すぎるかどうか内省する前に、ばーーーーんっと出しちゃう。繊細な生徒は、それを「受け入れてあげなきゃ」と思っちゃう。

 

人は自分を表現するだけでよくて、その表現を見て、何かを感じたり、自分のものにすればいいのであって、他人から「与えられる必要」はあまりないのではないかな。

与えてくれる人が側にいると、成長しないから。

 

つまり、そこにあるのは、いわゆる「賄賂」であって、愛ではないということ。

 

私は今、食べることが好きで、自分で美味しいものを作れるので、土日は必ず料理をするのだけれど、それは単なる表現だから、「作ってやってる」とは思わない。

自分が自分に与えているご褒美を、たまたま息子と一緒に食べてる。

別に息子に与えるつもりはないのでね。

 

他人に与える暇があったら、自分に与えればいいんです。

そして、他人から何かが欲しいなあと思ったら、伝えればいいし、伝えてもわかってくれないような相手と一緒にいるの?ってことだし、そこでまた「自分から与えて」まで、相手との関係を賄賂で変えたいのか?ってことです。

 

相手は、言葉でもものでも、もらえれば嬉しいよね。

そりゃ空気も現実も変わっていく。

でもそれは、長い目で見れば、「おれって与えてもらえる人なんだ」と勘違いさせる種でもある。ほほ~相手のことを考えなくてもいいんだ~空気を良くするために、お前が何でもやってくれるんだな~になります。

 

その結果、いばりんぼのおじいさんを生産する。

 

いい家族、いい夫婦って妻が与え続けてる風景に見えませんか?

 

この国では、男が反省するという文化がありませんから

家の中で「雰囲気を保つため」には、最終的に妻の諦めや、妻の「とりあえずの努力」が必要なんです。でもそれは、別に、哲学でもないし、宗教でもない。

気づきでも何でもない。

 

王様を持ち上げていれば丸く収まる、裸の王様をちやほやしていれば平和になる、そういうことです。

王様は裸ですよと教えたり、王様もちょっとおかしいのではないですか?と進言するような女性は嫌われるし、結婚できないぞ、いい男は寄ってこないぞと脅されてる。

それが今の恋愛マニュアルになります。

 

しかも人生哲学だと思ってる人も多いみたい。

 

裸の王様を責めてもしょうがないですよ、変わらないんだからってあきらめることを教えてる。そして、「あなたから王様にご褒美を挙げたらいいんですよ、そしたら、王様を責めて現状が打破できないのも変わってきますから」・・・コトは進みますけどね、王様は裸のままいばったままですね。そして、そのせいで不快な思いをすることは減らないですね。

 

もっともっと自分に与えましょう。

不快な思いをしない生活を目指していいんじゃないでしょうか。

自分をすり減らす必要などない。

 

他人に与えたがる人は、ほんとに怒りも思考も与えてきます。

拒否することもできないくらいに。

そして、与えてもらいたがってる。すごく。

 

私は無闇に与えないので、私を嫌がる男性は昔から一定数いるけれど

私の表現することを喜んで受け取ってくれる男性がいて、そういう人に愛されれば私は満足するみたいだから、これで良かったのだと思う。

 

優しさとか思いやりとか、そういう言葉とか、態度とか?

それは与えるためにあるのではなくて、その人の表現として「ある」んだよ。

もらえるんじゃなくて、表現された「それ」を受け取るんだよ。

 

自分は自分のままでいい。

他人に与えようとしなくていい。

自分に与えていればいい。

 

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花はただ咲いているだけで、私たちに何かを与えてる。

人間も同じだと思う。

「与えよう」としてくれてるわけでもないし、花が意思をもって「与えたおかげで人間たちが変わってくれた」なんて期待もしない。当然、それを「気づき」とか言わない。

集合意識だとかなんだとか?そういう単語を使っておかしくしたりしない。

ただ咲いているだけだよ。

 

私たちも、咲こうよ。花を咲かそうよ。

自分に肥料を与えて。