風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

素直と支配の間で

いつまでもいつまでも普通の夏休みです。

帰省ラッシュもないんだろうな。

と思うぐらい、街中が普通です。

 

さて。

 

わたしはそれこそ子どもの頃から「素直じゃない」という称号をいただいてきました。

あまりに言われて腹が立ってしまい、そのことについて深く考えることもしませんでした。人格否定じゃん、ね。って思うし。

 

そもそも、素直とは「感情に素直であること」を指すのだと私は思います。

けど、私もそこそこ感情には素直だったわけで。

感情に素直な人物って、あまり好かれるイメージないけどな。

 

ということは。

日本において「素直」というのは

「わたしの言うことに反論しない性格」を指すのではないでしょうか。

 

他人が「これいいよね、泣けるよね」と言ったら「そうです!」と深く考えもせずに言えること。それを素直と呼んでないか?

 

それ、単なる洗脳だから・・・

 

「こういう時は泣くものである」「感動するものである」「ほら、寂しいだろう、悲しいだろう、泣けるだろう」て・・・どうして自分自身が「泣く気持ちになる」のを待てないのかなあと私は思いますが。

 

結局、支配する人間にとって都合のいいのが「素直な人」っていう称号を与えられるのでしょう。

 

反論されること、言い負かされることを嫌っている人は

すぐに「素直じゃないね」って言うような気がしますがどうですか。

 

自分の頭で考えず、誰の言うこともハイハイと聞いてしまうことが

そんなに素晴らしいことだとは私には思えないので

「素直じゃない」は今では褒め言葉だと思っています。

 

本当に自分の気持ちに素直になってみる。

それはもう、ひとりでやることです。

誰かから見て「素直な人」と評価されるためのものではないからなあ。

 

大人たちは、学校へ行きたくないと素直に表現している子どもたちを

無理やり連れだそうとするものね。

他人が自分と同じ感情や感覚で生きているわけではないってことを

「あなたは素直じゃない」で切り捨ててる。

 

これはもう、呪いの言葉です。

 

支配したいなら素直にそう言えばいい。

支配に従わない人のせいにしないことです。

 

素直じゃないんだから(笑)

 

そして、人を素直にさせてしまう人っていうのは

安心感がある人だと思うのです。

 

その人の前で素直になれないのは、安心できないからですね。

 

安心感を無理に作り出すことなんてできませんから

「素直になって」とお願いするってことは

自分が相手に対して安心感を与えていない自覚があるからなんでしょう。

 

信頼関係ともいう。

 

他人を動かすことはできません。

素直にさせることなんてできません。

相手が素直にならないのは、相手のせいではないですよね。

 

私の親は、安心感というものとは程遠いところにいましたし

祖父母も同様でした。

だから、わたしは、自然があればいい。

元夫はかなり安心感を与えてくれましたが、それでも無理でした。

 

誰もが私の前では感情をむき出しにしてくれるのに

私は誰の前でもそうならない。

人生とはそういうものかもしれません。

 

*****

 

大阪駅の近くに、私好みのセレクトショップ(雑貨やさん)を見つけました。

セールだったので、あれこれと小さいものをいくつか買ってしまいました!

マスクつけてたから隠れてたけど

子どもの頃を思い出して、ウキウキ、にやにやしてました(*´ω`*)

 

チンアナゴのマスコット半額!買うしかないでしょ。

 

 

自分の感覚には素直に従うのです!