ひとり
36度を涼しいと思えることがおかしな夏です。
みなさん、大丈夫でしょうか。
少し雨が降りました。
気温は下がったものの、町中が臭くて驚きました。
なんだろう!!!
なので、薔薇の画像を(笑)少しはいい香りになるかしら。
精神的にきつい日々が続いたのは
体調のせいもあったのだと思う。
ひたすら自分を守ることに専念している気分がする。
そしたら、ふと自分というものの新しい側面が見えた。
キーワードは「ひとり」だった。
何度も書いているが、私の母はよそ見をする親であった。
しかも、妹や弟は子ども扱いだったにも関わらず、私に対しては同等だと思っていた節がある。
それに気づいた時、私は母にとってある種特別だったのだろうということが理解できた。
小学生の頃、母の習い事である謡の稽古を眺めていたものだ。
書道の練習をする姿も見ていた。
母は常に私の前では、ひとりの娘としてふるまった。
母親ではなかった。
母は、一人っ子だ。しかも、祖母はシングルマザー(祖父は母が幼い頃に亡くなっている)で忙しくしていたようだ。祖母と母の会話を聞いている限り、意思の疎通がはかられているような感じは受けなかった。どちらもとんちんかんなことを言っていた。
母はいつもひとりだった。祖母もひとりだった。
そして、私は、「ひとりにならなければ」という強迫観念に憑りつかれた。
今日、この連鎖に気づいた時、少しだけ自分の謎が解けた気がした。
そして、「色々責められるけど、これはしょうがないことなんだ」ということが腑に落ちた。母は父が亡くなるまで一緒にいたけれど、いつからか夫婦別室になっていたし、夫婦の形は全うしたが母には「二人で生きていく」というものが最期までわからなかったんじゃないかなと思う。
そしてそれは、わたしにも言える。
祖母の寂しさに責任を感じた母の罪悪感。そしてそれは私が感じるようにとバトンが渡された。妹ではなく、この私に。
私は、母と違って、友だちができやすい人である。
でもそれは封印して生きていた。
母親が悲しむと思っていた。
どちらかというと、私は、父親の親せきのおばちゃん達に似ていたのだと今ならわかる。よく考えもしないでひたすらしゃべる、存在もあっけらかんとしていて軽い。
母親の親戚筋は京都にあって、それはそれはみな「いいとこの人」であった。
土と生きてきた父親の血筋とは全く違う、インテリで家柄を自慢するような。
正反対の夫婦のもとに生まれたわたしは、常に自分がどちら側なのかを問われていたような気がしていた。
母親の気に入るように、上品な服を着て、ピアノや習字を習う良家の娘を装いながら、聖子ちゃんに憧れて高校生になってすぐにパーマをあてたりしていた。
学校などさぼって遊びたかったが、そこは封印して欝々と高校生活を送った。
でも、こっそりゲームセンターには行ってた(笑)
ちっともお行儀よくできないし、恋したい気持ち(当然夜遊びもしたかった)満々の自分は押し殺すべき人格となった。そこから自分を出せなくなって、ちぐはぐな自分になり、鬱病にまで発展したのかなあと今では思える。
良家の娘を演じるのは大変だった上に、まあ、そこそこ演じていたらしっかり「箱入り娘風」の人格も完成してしまった。
今でもそういう雰囲気を醸し出しては、人をだましているような気がする(笑)
おお、なんだかおもしろい展開になってきたぞ~。
そういうわけで←どういうわけだか!
母の「あなたは人と楽しまずにひとりになっていなさい」という願望を真に受けて育ったんだった。
結婚の前には、不機嫌Maxになってるし、もう意味が分からなかった。
そして、結婚したらしたで、夫を私から取り上げて(自分の味方につけて)私をひとりぼっちにすることに必死になってた。
私が一人ぼっちになってる姿を、母はずっと見ていたかったのだと思う。
それが母の祖母への復讐だったんじゃないだろうか。
私は、人が大好きで、大学生の時もたくさんのメンバーに癒されるようなサークルに入って活動したし、職場の同期のメンバーとも仲よくしていた。
なのに、なぜか寂しくて、心を許せる友達もできなくて、満たされないまま今に至る。
母と決別して何年になるだろう。今頃気づくなんてね。でも、決別しないと見えなかった景色だと思う。
「寂しくて満たされなくて辛くなってるわたし」を母に見せることが親孝行になってた。
夫と仲よくすることへの罪悪感は常にあった。
夫の家族と仲よくするなんて言語道断だったから、当たり前のように仲も悪くなる。
もうわたしって律儀なんだから!
高校生の時にはっちゃけた自分の魂、ゲームセンターに行ったり、学校さぼりたかったり、デートしたりが楽しい私に戻る時が来たのかもしれない。
それがこの絵↓
深く、深く、碧い… | 魂の光絵画家 Marmico☆のブログ Life !地球人生☆綴り
オチがないまま終わる。
今回、被災して、被災というものの時間の長さに驚くばかりだ。
ちっとも戻らないし、戻れない。
被災する前の生活はなかったと同じになってしまった。
私は、この経験をすることがまた、必要だったようだ。
あらゆることを経験し、経験したもの同士でしかわからない話をする。
それが私のこれからの仕事になるのだろう。
不登校の子供がいるお母さん、離婚したシングルマザー、恋愛で悩むすべての女性たち、そして、被災に対して周囲の理解がなくてしんどくなる人たち・・・私の幅が広がる。悲惨な経験をすればするほどに。いや、頼んでないけどな(笑)
台風による被害が出ないことを祈って寝ることにする。
読んでくれてありがとう。今日のは垂れ流しだね。
時間は2時から。台風はまだ来てないよ~きっと!