風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

じぶんらしさ

行き付けの整体の先生は、どんな話でも「そうですか~へ~」と相槌を打つだけ。

最初はそれが気に入らなかった。聴いてるのか聴いてないのかわからないと思った。

けれど、今ではそれが心地いい。

いちいち「相談に乗ってあげるわよ」と自分を押し付けてくる人にたくさん出会った後は特に。

そして、ただただ身体を診ることに真剣になってくれる。

プロ意識がある人と私はつながっていたいのだと思う。

 

昨日はドタキャンするはずだった出版社のセミナーに行ってきた。

「本を作ってる人は変わり者が多いけど、熱意があって好きなのよね」とデザイナー兼編集をしている人がよく話してくれていた。

私は図書館に勤めているから、本を読むことが大好きか、または、本に触れていることが好きな人は知っていた。けれど、制作側の人たちと会うのは初めてだったから、とても緊張した。

 

私がここにいていいのだろうかと何度も思った。

みな、素晴らしい人たちだった。

ここにいていいのかと思いながらも、もう片方の頭で「こういう人たちに会いたかったんだよ!」と思っていた。「場違い」と思ってしまう自分のほうが「間違い」だと知った。

 

☆自分の居場所

 

私は実家が落ち着かない場所で、常に「ここは私の居場所ではない気がする」と感じていた。

だから、留学したいとか、下宿したいとか、何度もアピールしたけれど、箱入り娘が必要な両親からはすべて却下された。

残った望みは結婚だけだったから、就職して私と結婚したいと言ってくれた人と結婚した。

 

でもどこにも落ち着けなかった。

 

たまに「夫と子供がいる家」が居場所だと思える時期もあった。

だけど、旅に出たくなったり、突発的に家出してみたり。

三度目の引っ越しでリフォームまでして、自分の好みに仕上げたマンションでも同じだった。

もっともっと思い通りにしたいのに!と。

 

色んな人が色んなことを言ってきた。

 

その理由が今やっとわかった気がする。

 

私が自分らしさを封印していたからだった。

自分というものを抑圧していれば、どこにいたって同じだ。

仮の姿で生きていたら、そりゃ落ち着かない。

 

大学生の時のサークルは居心地が良かったし、今の職場も悪くない。不登校カフェはなくてはならない場所である。

ということは、私は「家族といると落ち着かない」ということになる。

 

☆ほんとのわたし

 

家族といることがしんどい・・・というのは、いわゆるアダルトチルドレン界隈では当たり前のことである。

けれど、その向こうに「自分が仮面を被ってるからだ」という真実を見るのはとても辛い。なぜなら、家族といる時に被っている仮面は「愛されるため」のものであり、「それが正しい」はずだと信じているから。

 

つまり、「いい子でいられない」と気づくのは、「もう愛されないかもしれないよ」という宣告になるのだ。いいのか?愛されない自分を認めても?って何度も何度も人生で試される。

 

子どもの頃は「いい子になりたい」と願い、大人になれば「いい親でなければ」と思う。どちらもホントの自分自身じゃない。

 

わたしは、本当は熊徹(アニメ 「バケモノの子」公式サイト)だったと知った時の驚きったらなかった。

この歳になって、子育てをほぼ卒業してから気づくなんて。

 

☆もうごまかせない

 

一度知ったら引き返せない。

開き直るしかない。

この、感情的でわがままで、手に負えない自分という人間のままで。

 

地震前の私はどこかに行ってしまった。

 

昨日のセミナーで、自分がやるべきことが目の前に現れた。

これをやらずに終われない、と思った。

 

研究テーマがわからなくて卒論に悩んだみたいに

ずっと人生に迷っていたのが

「これを一生研究したい」と思えるテーマに出会ってしまったようなものだ。

 

親は熊徹でもいいのだ。子どもは勝手に育つのだ。

わたしはわたしのままでよかったんだ。

くー〇んに出てくるような理想の親にならなくったって。

私はどんな時も子どもから心を離さなかった。それだけできっと伝わっている。

 

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台風が過ぎた。

夜中の風はすごかったけれど、何事もなく過ぎ去った。

一日が無事に過ごせることがどれだけ幸せかと思う。

 

いつも読んでくださってありがとう。