じぶんらしさ
行き付けの整体の先生は、どんな話でも「そうですか~へ~」と相槌を打つだけ。
最初はそれが気に入らなかった。聴いてるのか聴いてないのかわからないと思った。
けれど、今ではそれが心地いい。
いちいち「相談に乗ってあげるわよ」と自分を押し付けてくる人にたくさん出会った後は特に。
そして、ただただ身体を診ることに真剣になってくれる。
プロ意識がある人と私はつながっていたいのだと思う。
昨日はドタキャンするはずだった出版社のセミナーに行ってきた。
「本を作ってる人は変わり者が多いけど、熱意があって好きなのよね」とデザイナー兼編集をしている人がよく話してくれていた。
私は図書館に勤めているから、本を読むことが大好きか、または、本に触れていることが好きな人は知っていた。けれど、制作側の人たちと会うのは初めてだったから、とても緊張した。
私がここにいていいのだろうかと何度も思った。
みな、素晴らしい人たちだった。
ここにいていいのかと思いながらも、もう片方の頭で「こういう人たちに会いたかったんだよ!」と思っていた。「場違い」と思ってしまう自分のほうが「間違い」だと知った。
☆自分の居場所
私は実家が落ち着かない場所で、常に「ここは私の居場所ではない気がする」と感じていた。
だから、留学したいとか、下宿したいとか、何度もアピールしたけれど、箱入り娘が必要な両親からはすべて却下された。
残った望みは結婚だけだったから、就職して私と結婚したいと言ってくれた人と結婚した。
でもどこにも落ち着けなかった。
たまに「夫と子供がいる家」が居場所だと思える時期もあった。
だけど、旅に出たくなったり、突発的に家出してみたり。
三度目の引っ越しでリフォームまでして、自分の好みに仕上げたマンションでも同じだった。
もっともっと思い通りにしたいのに!と。
色んな人が色んなことを言ってきた。
その理由が今やっとわかった気がする。
私が自分らしさを封印していたからだった。
自分というものを抑圧していれば、どこにいたって同じだ。
仮の姿で生きていたら、そりゃ落ち着かない。
大学生の時のサークルは居心地が良かったし、今の職場も悪くない。不登校カフェはなくてはならない場所である。
ということは、私は「家族といると落ち着かない」ということになる。
☆ほんとのわたし
家族といることがしんどい・・・というのは、いわゆるアダルトチルドレン界隈では当たり前のことである。
けれど、その向こうに「自分が仮面を被ってるからだ」という真実を見るのはとても辛い。なぜなら、家族といる時に被っている仮面は「愛されるため」のものであり、「それが正しい」はずだと信じているから。
つまり、「いい子でいられない」と気づくのは、「もう愛されないかもしれないよ」という宣告になるのだ。いいのか?愛されない自分を認めても?って何度も何度も人生で試される。
子どもの頃は「いい子になりたい」と願い、大人になれば「いい親でなければ」と思う。どちらもホントの自分自身じゃない。
わたしは、本当は熊徹(アニメ 「バケモノの子」公式サイト)だったと知った時の驚きったらなかった。
この歳になって、子育てをほぼ卒業してから気づくなんて。
☆もうごまかせない
一度知ったら引き返せない。
開き直るしかない。
この、感情的でわがままで、手に負えない自分という人間のままで。
地震前の私はどこかに行ってしまった。
昨日のセミナーで、自分がやるべきことが目の前に現れた。
これをやらずに終われない、と思った。
研究テーマがわからなくて卒論に悩んだみたいに
ずっと人生に迷っていたのが
「これを一生研究したい」と思えるテーマに出会ってしまったようなものだ。
親は熊徹でもいいのだ。子どもは勝手に育つのだ。
わたしはわたしのままでよかったんだ。
くー〇んに出てくるような理想の親にならなくったって。
私はどんな時も子どもから心を離さなかった。それだけできっと伝わっている。
台風が過ぎた。
夜中の風はすごかったけれど、何事もなく過ぎ去った。
一日が無事に過ごせることがどれだけ幸せかと思う。
いつも読んでくださってありがとう。