マウントに左右されない人生を
GWも今日で終わりです。
きっちり休んで、会いたい人に会って過ごしました。
記事を一つアップしたのですが消しました。
なんとなく、違和感。
ごめんなさい。
さて。
世の中、成功哲学で溢れております。
その前は、別の流行がありました。
若い人の中には左右されてしまう人もいるでしょうね。
私もそうでした。
いったい何が正解なのか、ふらふらと彷徨っていた時期がありました。
その時その時で流行する言葉を使って
人と人が比べ合う。
自分のほうが幸せだ、うまくいってる、正しいということを証明したいがために
言葉を操っている感じがとても苦手で
疲れ果ててしまった時。
なんだか「もういいや、全部放り投げたい」と思って
自分のくだらなさもダメな部分も人から否定されてきた部分も受け入れることにしました。誰が何をマウンティングしてきても「聞かない」と決めて。
で、一番発信したかった場所で、自分のことやあれこれを書いたところ
思いがけず反応があり、
苦手だった男性から褒められることが増えて
恋愛への苦手意識が消えて今ではどうでもよくなりました。
私が尊敬しているフェミニズムの方々は、男性経験が豊富です。
男友達もいっぱいいらっしゃいます。
だからこそ、視野が広くて男性にも辛辣で、かつ愛があるのではないかなと思います。
「わたしはこんなに男性と仲良くできるの」「いつも愛されちゃうの」「男性が私をかまってくれるの」というのを必死で言わなきゃいけないような生活を送る必要性など
どこにもないわけです。
人柄や生き方を見ていれば、その人に魅了されて男性も女性も寄っていくだろうことはわかります。
「わたしはこんな風に男性から接してもらってて~」なんて「誰にそれを認めてもらいたいのか?」になります。
ひとりでいようがふたりでいようが
家族がいようがいまいが
自分が「人としてこれでいい」と思っていればいいわけで
私の場合「普通の人が思い描くハッピーな暮らし」と「自分が満足する人との出会いと接し方」がまったく違ったことで、混乱を招いていました。
子育てのやり方にしても、パートナーとの関係性にしても
「私の生き方」として納得できていれば、誰に自慢することも、褒めてもらうことも必要ないんだなあっていうのが最近の気づきです。
そして、成功例をやってこなかったからこそ
今悩んでいる人の話が聴けるということも。
「わたしはこんなに正しい育児をしています」「立派なパートナーシップを築いています」と言う人に、誰が相談しますか?
悩んで迷ってぶつかってきた数だけ、わかる気持ちがあると思っています。
そのことに気づいたのは、今の仕事を始めてからです。
すべての経験が無駄ではなかったと。
自分の経験は誰にも奪われないし、なくなったりしないし
唯一無二のものだから、比べられても仕方ないし。
揺るぎない自分の宝物として輝いているものです。
目の前に何度も立ちはだかってきた壁があるし
何度も味わった悔しさや悲しみもあるけれど
それは決して否定したり、反省するものではなくて
ただそこに「自分らしさがある」のだと
教えてくれるものでした。
人は、そのままで「存在するだけ」です。
そこに意味づけをするのは勝手なことで
どうせなら誰かと一緒に「存在を支え合って」生きていこうぜってことだし
親子じゃなくたって全然オッケーじゃん?みたいな。
愛されたとか愛されなかったとか
愛を受け取れないとか受け取れるからどうとか
まったく関係なく、人は生きていて
そして死んでいくんじゃないだろうか。
自分自身の中に育んだものだけ持って。