風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

ほしいものがわかってる

家に帰ると、おいしいご飯が食べられて

息子と何気ない会話ができて

なんだか幸せである。

外で傷ついても、すべて忘れて癒される。

 

帰り道、自分の「欠けた部分」について考えていた。

どれほど幸せであっても、私にはほしいものがある。

それが私の「欠けた部分」なんだなということ。

 

今ある幸せに目を向けなさいとか

今できることをしないで、将来幸せになれるわけがないとか

色々言う人はいるものだ。

 

だけど、自分の中にある「欠けた部分」が叫んでいることを無視するのは

今の自分を無視していることと同じだ。

 

どんなに水を飲んでも喉が渇く熱中症のように

あまりにも干乾びた心は、色々な小さな満足を自分にぶち込んだところで

納得しない。

ガツンと点滴をするか、体中を欲しいもので満たさなければ

回復しない。

 

回復してからの自分がどう生きていくかはまた別の話である。

 

私が自分に点滴を打ち込んだのは、3年前になる。

カンフル剤のようによく効いてくれた。

もっとも辛い時期を乗り越えることができた。

だからどうしても、もう一度同じ処方箋をと願っている自分がいた。

 

けれど、3年前と今の私は違う。状況も違う。

同じ処方箋ではうまくいかないらしい。

 

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家を引っ越して、様々な動きがあった。

行動したって本人が変わらなきゃどうしようもない、という人もいる。

そう思うならじっとしていればいい。

人に押し付けなければいいんじゃないかな。

 

家族全員をハワイに連れて行った時に感じた「自由な空気」は

私にとって大きな転機だった。

「この状態をずっと味わっていたい」と(今流行の)潜在意識に伝えたようだ。

今思い出すと、結果的にそうなったんじゃないかなと推測している。

 

このまま結婚していると、あの「自由な空気」を味わうことがないだろうと(潜在意識が)判断し、離婚の流れになり、今回のお引越しにつながったことは想像に難くない。

 

なぜなら、今味わっている「空気感」はハワイで感じたものによく似ているから。

 

あの時、ハワイに行かなければ、私はまだ何を欲しているのかわかっていなかったのではないだろうか。

人生で一度きりだとジャンプして実行したことは無駄ではなかった。

 

引っ越しによって、出会うことのなかった人と出会い、新しい感情が沸き、全く違う生き方が始まった。

平安が訪れる瞬間も増えた。

それでもなお、求め続ける「飢えと渇き」の正体を、私は見てみたいと思っている。

 

サバイバル生活に憧れていた息子第二号は、今、まさにサバイバル生活をしている。人って思った様に生きることになっているみたいだ。

 

地震に豪雨に猛暑、そして台風が来る。

それでも私は生きている。

今の時代を生きている。

 

ひとつの時代や文明が終わるほどの激動の地球変動だなと思う。

ノストラダムスで騒いでいた人たちは今何を思うのだろうな。

厳しい環境に身を置いて、明日どうなるかわからないとしたら、私は何をする?何を求める?ということを常に自分に問いかけていたい。

 

ごまかさずに。

 

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