大切にする
久しぶりに推理小説を読みました。
しばらく小説を読むことから遠ざかっていたので、新鮮でした。
昔ならわかったような推理も、すっかり忘れていて(笑)意外な展開に驚いたり。
それでも、人生を積み重ねると、小説の読み方は変わってきます。
人間関係も自分の成長も加わって、新たな発見があるものです。
この歳になって、ようやく私は、自分との付き合い方がわかってきました。
「あ~なんだか疲れてるな」「いらいらしてるけど、どういう時期かな?」と、嫌な気持ちが沸いてきても、冷静に分析するようになりました。
分析したからって消えるわけではないですが、解決方法を見つけることができ、他人に余計な心配や苛立ちをぶつけることが減ったかなと思います。
わたしは、何事もゆっくり進むタイプで、人によっては一足飛びに成長するのかもしれませんが、順序を経て、私はこのようになっていきました。
嫌いな自分を好きになるという段階から、ようやく自分を愛し大切にする段階へ。
よく「自分を好きになれ」と言われます。
私は、まず最初に自分の外見を好きになるように、鏡を見て練習をしました。
身体の不調や心の不調も減らすようにしました。
そして、なんとか人並みに「自分が好きかも」と思えるようになってきました。
けれど、やっぱり自分を雑に扱っていることに気づいたんです。
たしかに、人前に出ても堂々と振る舞えるようになりました。
だけど、自分を頑張らせてしまったり、我慢させたり、あるいは、自分の希望を叶えないというように。
そもそも、自分の体というものが苦手で。
すべてにおいて不器用で、自分自身を扱うことに苦手意識があるのです
だから、ご飯は早食い。お風呂は烏の行水。
おそらく、学校の集団生活の中で、「自分自身のことにかまけるのはよくない」と植え付けられたのかなんなのか。
他のことが忙しすぎて(しんどくて寝込むことも含めて)体の手入れ、服の手入れなど、自分自身に関わる時間はすべて「もったいない」「こんなことに時間をかけたら迷惑かける」ということになっていました。
私が自分を大切に扱いだすと、それこそ、一日中自分のことしかやれない(笑)
友達と遊びたいし、勉強しなきゃいけないし、習い事もある・・・無理~~~って。
それで、どんなに時間が余っても、自分を大切にする時間ではなく、勉強や誰かに会うことや癒すためにどこかに行くことで満足していたんだなって気づいたんです。
「好き」「愛する」「大切にする」
この三つは、似ているようで違います。
私は自分を「好き」になろうとして努力したけど、「大切に」はできていなかった。
大切にしようと決意するだけで、何が起きても、すぐに戻れるようになったかもしれません。自分をずっと怒った状態にもできないし、脳内で暴れている子どもを慰めるようになるし、素敵な変化が起きています。
これから違った世界が見えるかもしれません(#^^#)
自分とこんな感じで仲良く(^^)v
最近の不思議なこと~。
落ち込んでいた人も、子どもが自分の望んだところに進学したり、自慢できるような進路に進んだ途端、態度が変わるんですね~。
住む場所で自分をエリートだと思うように、子どもの学校で自分のステイタスが決まると思っているタイプ。苦手だ~。
母親にとって、子どもって評価の対象なんだということがよくわかります。
子どもの評価=自分の評価。
だから、他人にもちょっと偉そうになるんだなあ。
私はそーゆーことがなかったからわっかんない(笑)
幸せは自分で作るよ。子どもに作ってもらわないよ。