風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

訴える勇気を

こんばんは。

とても寒くなってびっくりしています。

 

最近のニュースとして、スポーツ関係のパワハラやセクハラが多く取り上げられるようになりました。

私は、とてもいいことだと思っています。

 

パワハラってね、自覚がないんです。

相手を尊敬しない行為は、パワハラの温床です。

でも、男は女を尊敬してないし、先生は生徒を尊敬していません。親は子を尊敬しません。

生徒が先生に反抗するのはパワハラではありませんよね。

 

権力がある、自分は権力を行使して力づくで言うことを聞かせていい立場であるという認識がパワハラになります。

 

それはともかく。

 

で。

まあ、世間では、訴えたほうを悪く言う風潮が相変わらずあります。

私はそれが、小さい頃からとても嫌でした。

声を挙げることを「和を乱す」と非難する人たちが一定数いることが。

 

優しくないとか、みんなことを考えてないとか、嫌な気持ちにさせてどうするとか。

あのね、現実が優しくないから訴えるんじゃないの?

嫌な気持ちをしてる人がいるのに、それを抑えて、多数の人たちが平穏に暮らそうとするから訴えるんじゃないの?

 

たとえば、レスリングの話でいくと、選手が訴えたことは、レスリング界を変えることになると思うし、後輩の女性たちは「普通に」「力のある選手として」生きていけるようになると私は思うんです。

そのために、勇気を出した。

自分だけのために、そんなことしないと思う。自分だけのためと思っていても、それがどれだけの影響を与えるかはわかっていらしたと思う。

 

最初に「訴える」のは、とても勇気がいることです。

長いものに巻かれてさえいれば、自分さえ我慢していれば、世間は落ち着いているかもしれないけれど、それでは誰も守れません。

 

今朝、ニュースのコメンテーターかなにかで一人の女優さんが座っていらっしゃって、この問題に関して「師弟関係の中で誤解されることもあると思う」「これから精神的に大丈夫か心配」などと、まるで選手に非があるかのような物言いをしていました。

ああ、これこれ、世の中の「男性に追随することが素晴らしいと思ってる女性で、女性はこうあるべきと思ってる人」の意見だよなあと思ってみていました。

他の男性のコメントは「これからのスポーツ界は変わっていかなければ」なのにね。

 

訴えるのは賢くない女性である、というのがこれまでの日本の中にはびこっている感覚で。「わたしはそんな愚かではありません」と、わざわざ訴える女性を非難して、自分の格を上げたい人たちがいるんですよね。ずっと昔から。それが一層、パワハラやセクハラを見えなくしていました。

 

自分の感覚は自分で守らなければなりません。

反論できないような状況に陥らせるのは、論外です。

意見を言える状況を作ることが大事で、意見を言える(それで不利益を被らないという安心感の中で)場所で意見を言わないで、陰でこそこそ言ったり、あとで文句を言うのが、日本人は得意ですけれど。

 

意見をはっきり言える人をスケープゴートにしたり、意見を言える人を煙たく思ったり、だから、「私はみんなの前で強く意見を言わない優しい人だから」と装ってるんだろうなあ。

 

それが一体何のため?誰のため?って聞かれたら、それこそ自分のためでしかなくて。

 

自分の意見を通すことで、場の問題を解決していこうとする勇気は、そういうエゴの声に潰されていく。

 

実家の相続問題で揉めた時に実感しました。

これは村社会だからだって。日本はまだ感覚が江戸時代じゃないかって。

 

「弁護士を立てるようなことをすれば、この町で暮らせなくしてやる」的な脅され方をしましたもの。

 

別に、多めに相続したいと言ってないし、法律通りにお願いしますって言ってるだけなのに、そんな風に言われてしまうんですよね。恐怖を感じました、その時はほんとに。でも、私のお願いした弁護士さんがきちんと「それはおかしいです、そんなことを言ったらアウトですから。」と冷静に教えてくれたので、ビビって取り下げることはしませんでした。

 

だから、それを超えた今は、怖いものは減ったし、きちんと嫌なものは嫌、おかしなことはおかしいって言えば、必ず応援してくれて励ましてくれて、ちゃんと味方になってくれる人がいると知っていますので、どこででも、筋を通すことにしています。

 

やっと日本の闇が明らかになってきて私はとても嬉しく思っています。

闇の中で、ほくほくしてた人たちは、必死で反論してるみたいですが、もう無理なんじゃないかな。

闇ってね、明るいんですよ。

「わたしは正しい」という顔をして堂々と光の中にいる。

その光が潰してきた数々の人間の心が闇とされてしまった。

 

逆だから。

 

正々堂々と差別するとか、正々堂々といじめて武勇伝にするとか、いじめや差別を「する権力」はもう通用しなくなる。

その権力にすがって生きている人も、いじめや差別を擁護(これ、例えば子供が先生にいじめられてたとして”先生も忙しいんだからわかってあげなくちゃ”とか言ってる親もですよ)する人も、変わっていったほうがいいんじゃないかなと私は思います。

 

いじめや差別のある世界を「保つこと」を平等や公平と言ってる人の多いこと!

 

スピを名乗ってる人にも多い思考回路ですからご注意くださいね。

 

みんなね、誰のために何を守っているのか、立ち止まって考えたほうがいいですよ。

声の大きい男性を「理解してあげる」ことが、何を守るのか?

教師という立場を利用して子どもを怒鳴りまくっている教師を「わかってあげること」が子どものためになるのか?

そういう自分の心の弱さが、誰かを傷つけているかもしれないってこと。

 

声を挙げた人を非難しないだけでも、この国は生きやすくなると思いますよ。

世界的に恥ずかしいニュースとして、相撲の話もレスリングの話も地球を駆け巡っていることを、知らないのはもっと恥ずかしいかも。

 

この記事もぜひ。

 

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