マイナーを渡り歩く
こんなに雨が降るのはいつぶり?
お仕事の方々、お疲れ様です。
自分の歴史を振り返ってやっと気づいたことがある。
わたしは、マイナーな世界に興味がありすぎて
そこにいる人たちと知りあいたい、話を聞きたいという願いに突き動かされて
生きてきたようである。
自分の周囲(家族親戚、結婚相手の親族、最初の仕事界隈)が、とにかく「自分自身は普通でまともだ」と思っていることが不思議で、おかしくて、そう思えない私自身はいったい何なのかという疑問が出発点だった気がする。
あなたたちがまともなら、わたしはなんなの?っていうところ。
そして、日本ではメジャーでない育児や教育、ロハスや占い界隈、そしてまた、もっとコアな人たちに出会うようになった。
マイナーな場所にいる人たちは、それこそ、メジャーな場所にいる人たちと同様、すごい人もいれば、ゲスな人もいる。
マイナーな場所にいることだけで「わたしは特別」と思い込んでいるダメな人が多いのも特徴だ。
その分野で秀でている人に会いたいなあと思いながら彷徨っていたけれど
結局のところ、マイナーな場所で頑張ってる人でまともな人というのは
一般社会に基盤を持ちつつ、自分の趣味との兼ね合いを探っている人に多かった。
マイナーな場所しか居場所がない=わたしは被害者、といううっすらとしたものがあって(占い師なんてほとんどがそうじゃないだろうか)
だから特別になりたい!という欲望をたぎらせている人のほうが多いかもしれない。
昔は本当にマイナーな場所でひっそりとやっていたがゆえに
プライドを持って、自分の資質を高めていこうとしている人たちがいるイメージがあったけど
今や、簡単に起業できる仕事として表に出過ぎてしまい
社会人経験も苦労もしていない人が、占いでお金儲けしながらマウンティングできるやん、的なことをやってる。
それはもう、水商売をやってる人たちがピンキリなのと全く同じ構図になっている。
どこにいても、何をしてても
結局は人間性がすべてで
「何をしているか」は全く関係ない、というのが
はっきりと見えてきたところ。
ロハスがブームの時は、無農薬だ、安全な食だと言ってる人たちは、自分こそが世界の救世主であるかのようにふるまっていて、それはそれですごいことだと思ったけれど
その一方で、普通に男女差別してたり、弱者に寄り添わない発言をしたり、精神疾患への思い込みがきつい人がいたりして、「・・・・一体これはどういうことなのだ・・・」という疑問が膨れ上がったこともあった。
精神疾患関係の支援をしている人も性的虐待をうまく処理できないし
精神世界の大御所と言われる人たちも、日本の政治については手も出せない。(なんか見た)➡結局引っ込んで祈ってるだけの人になる。
人は完ぺきではないが、だからって、自分を特別視してしまうことで、大切なものを見失うというのは、「人間ならでは」なのかそれとも、何かを気づかせるためにあるのか。
その一方で、本気で自分自身と向き合うことで
マイナーな世界で哲学の域に達している人もいる。
その数少ない極めている人に出会えた時、私の心はワクワクする。
誰にも気づかれないところでひっそりと重ねられている技と
積み重ねられた思想は尊い。
世間知らずで毒親育ちのお嬢さんたちに踏み荒らされてる精神世界業界は
もはや面白みが失われてきたし(あれはもはや、客を相手に自分をカウンセリングしてるんだな)
コロナの世界では、自然派っていうのは単なる勝ち組にしか過ぎないんじゃないかなと思ってしまう。
今の日本を創り上げたのは、潜在意識系の人たちが言う通り
多くの人たちがそう願ったからで
そこには当然、精神世界系の人たちのネガティブな気持ちも含まれている。
その話はまた後日。
生きづらさを、自分を向上するために使う人は少なくて
生きづらさを金儲けや権力に向けてしまう人がいる。
取り込まれてしまう心の弱さが、他人を抑圧して搾取する力を持とうとしてしまう悲劇になって繰り返されているのかもしれないね。
それでも、これからも、マイナーな世界の人たちの声を聴く趣味を続ける。
どんなに「ヤバいなこれ」と思うことがあっても
その中に宝石が一粒だけ転がってたりするからやめられない。