風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

あけましておめでとう!~癒されドラマ①BONES

あけましておめでとうございます。

 

今年も張り切ってまいりましょう。

 

今の私の癒されドラマ「BONES

ja.wikipedia.org

 

素人のアドバイザーがどれだけ「癒してやろう」としてくれようが

私の傷はどうにもならなかったのは

そこに日常性がないからだと気づきました。

 

癒しって日常で起きてこそ、なんだよね。

 

主人公は法人類学者。骨から事件を解決するんだけど、いわゆる発達障害系の女性で、言わなくていいことを言っちゃったりする。

だけど。アメリカだからなのか?才能は抜群に評価されてるし、美貌もあるから男性から寄って来られる。

それはともかく。若干その嫌われがちな性格を、FBIの捜査官が上手にフォローしていく姿がいいのです。

 

これこそが愛だろ。

否定せず、さりげなく発言をフォローする姿を見て

「そうそう、こんな風に守られたかったんだよ!」という言葉にならなかった気持ちが目の前で繰り広げられてることに満たされて癒される、みたいな。

 

日本人がコミュニケーションをおろそかにしすぎて磨かなかった技術がここにあります。

 

自己責任にしてんじゃねーよ、自分が他人を守れないからってな。

 

このドラマ、日本への勘違いもあるし、全部が素晴らしいわけじゃないけれど

誰もがほどほどに孤独で、誰もが大きな傷を抱えていながら

それをいちいち突っつきあわず、お互いがいい関係でいようと努力しようとする姿が

日本のドラマにはない部分です。

 

村八分文化は殺人の温床、というオチも見られますしね。

 

日本でこれに似たドラマを見つけてたまに見るんですが

天才の主人公は浮きまくり、嫌われてて、理解者がいてよかったね、ぐらいの扱い。

しかも男性がほとんど。

このBONESは女性が主役だし、たくさんの男性と寝たりするけど、相棒としてそばにいる男性はそういうことも受け入れてるし。

 

殺人のグロさも半端ないけど、人間ドラマとして観ていて温かい気持ちになります。

 

肉体は肉体に過ぎないよなあと思ったりして。

 

ここからは余談。

 

私も結婚していたからわかるのはわかるのですが

パートナーが、自分以外の女性と関わるのを嫌がる心理は「当たり前」と思いがちですが、本当に当たり前なのだろうかということです。

 

気付いたのだけど、それはたぶん

「自分の肉体の延長線上にパートナーの肉体を感じているから」じゃないかなと。

 

本来は、まったく別の肉体だし、自分のじゃないから支配できないはずなのに

まるで「自分の肉体であるかのように」感じている。

だから、別の知らない女性が触ると不快感がこみあげてくるんじゃない?

 

わたし、長男が生まれてすぐの時、姑に子どもを奪われそうになって(出産直後だったし過敏になってたんだけどね)「姑に子どもを抱かせなかった」んです。

それで死ぬまで恨まれたけど・・・

 

その時の感覚もそうだった。

自分の一部を奪われる感じがしたんです。

 

日本人は、身内はひとつの大きな生き物としてて

肉体のつながりと魂のつながりを同一視しすぎている気がします。

魂だの波動だのって言ってるくせに

パートナーの肉体は縛りたがる。

 

「一緒にいる」「誰にも触らせない」ことが「つながり」だと思ってる。

 

現実はそうなんですよね、たぶん。

わかりますよ、気持ちはわかる。

けれど、冷静になってみれば、パートナーがどういう生き方をしようが誰と触れ合おうが、どうにもできないし、それがつながりを切る行為とみなされるのはちょっと違うんじゃないかなと。

 

息子の嫁が嫌いってのと似てません?

 

自分の息子、自分だけが触れられたはずの息子が、別の女に奪われるのを嫌がる母親は多いですよね。不倫や浮気を嫌がるのはそういうことだと思う。独占欲でしょ。

 

肉体の相性と魂の相性が一致することなんてあるのかな~

それとこれとは別々に存在することもあるんじゃないかな。

 

男も女も乗り越えるべきことは多そうですよ。

 

わたしは、浮気がどうとかよりも、女に家政婦兼看護師兼飲み屋のママをさせるやつが一番嫌いなので(笑)

家族(元嫁、娘)の自慢&愚痴を言っていい相手にされるとさよならしますよね、普通に。作ってもらったおせちで寛いでる人に対して恋愛感情はまったくわかないかわいくない女性です(爆。

 

目の前にいる「わたし」に配慮しない彼氏なんてあり得ない。

 

結婚したんだから、パートナーなんだから、彼の思想も肉体も私の思い通りと思っているようでは、これからは難しいかもしれないよ。

わたしは誰にも思い通りにさせないし、ならない。

 

従属は愛ではない。

 

というわけで、寒いお正月はドラマ観て、勉強して過ごします!

正月明けに試験とかあり得ないわ~~~まったく。

 

晦日にキレイな満月を観ました。今日も見えるかな。

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今年もありがとうございました

いよいよ大晦日ですね。

 

こちらは雪もさほど積もらず

いいお天気です。

 

今年は何もせず、静かな大晦日を迎えています。

 

直前まで仕事で緊張したりして

29日に休みに入った途端、身体が「休めモード」になってしまい(笑)

一人暮らしで良かったなと思ったほど

休んでいました。

 

クリスマスもお正月も

特別なことをしなくても

おごそかな気持ちになるものです。

イベントを成り立たせなくてはと意気込んでいた昔が懐かしいくらいに

ひとりで過ごす特別な日は

いいものですよ。

しみじみと。

 

私にとって今年は世界ががらっと変わった年でした。

こんなに変わるか?というくらいに。

考える内容も、これからやるべき行動も、まったく未知の世界。

 

だけど、今までの経験があってこその今。

 

若い頃は「なんでこんな目に遭うんだろう」と思ってたし

「いつまでも変われない自分」にいらいらしたりしていました。

そうやってあがいてきた日々が後半戦で生かされるとはね。

 

なので、若い人たちも、今あがいている人たちも

そのまま突き進んでくださいね。

どんなことも全部意味があるから。

 

「今」だけを見て、けなしたり、ダメ出しする人が出てくるかもしれないケド

そんなこと信じないでね。

 

自分の中にある素晴らしいものを抑圧しようとする外敵に惑わされないで

どうか、そのままでいてください。

 

わたしは、昔と変わらず、新しいものにびくびくしたりおどおどしたりします。

全然落ち着かないし、人から嫌われてる気がする瞬間もなくならないです。

それなのに、人生は好転している。

そういう自分を嫌わなくなったからかな、と思います。

 

それでいいし、仕方ないし、変えなくていいと思ったから。

 

それよりも、そういうちょっと困った部分を補って余りある自分の長所が大好きだから。

 

これからも、思ったことを発信していきます。

いつも読んでくれてる人、ありがとう。

また、新しい読者が増えるといいな。

 

来年は「営業に使える○○」とか書くのか?書くのか!どうしよう(笑)

 

Twitterや日々どこかから拾ってきた言葉から感じたものを

これからも書き続けてきますね。

 

ではみなさま、良いお年をお迎えください。

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出産なんて単なる出来事に過ぎない

今日は寒くなりそうです。

みなさん、お気をつけて!

 

さて。

 

発言力の強い、影響力のある女性が

「出産して、女性の素晴らしさに目が覚めました」とか言うのって

ほんとに悪影響だよな、と思う。

 

子どもが産めない女性に配慮していないこともあるけど

それってつまり、「出産できた自分」というマウンティングの上に立ってることへの無自覚。

 

そして、自分ひとりの感情の垂れ流しをすることで

まるでそれが「こうなることが尊くて素晴らしいんだよ、そうなったらいいよ」というムードを創り出すことの害悪に気づいていない。

 

人生のイベントで自分が変化することはよくあることだ。

だけどそれは、決して「女性の素晴らしさ」ではなくて

単なる自分自身が変化するきっかけにすぎない。

 

そういう冷静な目を失って

「ほら、私の変化を見て!」と言ってしまったら

それはもう宗教になってくし誰かを窮屈にしていくかもしれないよね。

 

人が人を生み出すことは大きいことだ。

それは間違いない。

だけど、その生み出す側の性への取り扱いが軽い社会であることには問題がある。

そして、その単なる出来事を、賛美したり、ほら、素晴らしいでしょと言ってしまうことで、その生み出す側への扱いが軽いことを「なかったことのように」してしまいがちなことも忘れてはいけない。

 

産んだ後も人生は続く。

そして、子どもが育った後も人生は続く。

 

子どもを産んで、子どもが好きになった人もいれば嫌いになる人もいる。

それは千差万別だから、どんなに自分にとって良いきっかけになったとしても

「それは私だけに起きたことで、すべての人がそうではないかもしれない」と

きちんと思えるかどうかが大切なんじゃないかな。

 

女に生まれて幸せだと思えるような社会ではない。

もし、本当に女に生まれて良かったと思える社会なら

いちいち「出産は素晴らしい」なんて言わなくていいはずで

本当に満たされた世界なら「ありがたみ」を口にする必要がないんだよね。

 

いちいちそこに「幸せな感情になるはず」という付加価値をつけなきゃいけないのは

そうしなければ「あれ?幸せじゃないのかも?」と思ってしまう闇が隣にあるからだよね。

 

男が当たり前に幸せを感じなくても家庭生活の中で

誰かに家事をしてもらって生きてるのは

それが「普通」であって「男に生まれて特別な幸せ」だとも思わないような制度が整ってるからで、「オレって幸せだなあ」「男に生まれてラッキー」とも「想わなくていいくらいの幸せ」が普通にあるってことだ。

 

出産、子育て、家事が「女性の幸せを押し付けてくるもの」でなくなって

その出来事が、自分の人生のキャリアやお金や人生設計にまったく響かなくなった時

初めて本当に「女性としての幸せ」を感じられるのだと思う。

 

子どもが好きだろうが嫌いだろうが、自分自身であればいいし

それが人間の評価につながること自体おかしなことだし

いちいち「女性性を回復させなきゃいけない」という抑圧も酷いと思う。

 

回復させなきゃいけないほどの傷を負わせる社会である側面を無視して

「出産したら女性性を回復できますよ」という宣伝をするのは

めちゃくちゃ狂ったことだと思わないんだろうか。

 

この記事を書こうと思う前に書きたかったこととつながってるんだけど

スピの人ってやたら「自分の体験の特別性を物語にしたがる傾向」があって

じゃあ小説でも書けば?って思うんだけど

とにかく自分を主人公にした歴史を作ろうと必死になってる感じがするよね。

 

それってもう、引退した男性が、自費出版で自分史を出すのと同じメンタル。

自慰と同じ。

 

人間だもの、それも全然ありだし、そのおかげで病まずに生きていられるんだけど。

 

そうまでして、他者からの尊敬を得たい自分自身を客観視することも

たまにはしてみたらどうかしら?と思いまする。

 

そろそろ女性性がどうのこうのってのは、流行らないどころか、カッコ悪い話になりそうな予感。

 

身体の性差が制度の差に響くのはもう終わりにしなきゃ。

 

おっさん天国を支える女性にはなりたくないんだな、わたしは。

 

賛美するだけで命が救えるならそんな楽なことはない。

どんなに拍手しても、感謝の言葉を言われても

制度が整わなきゃ人は死ぬ。

 

この一年でよくわかったんじゃない?

それでもわからないってのは、それを幸せと呼ぶんだぜ。

 

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ひとりになること

人に会う仕事は楽しいです。

上司や同僚にちくちく言われたり

いらいらした感情をぶつけられる毎日を過ごすぐらいなら

お客さんとしゃべってる方がいい。

 

どっちも大変なことといいこと両方あるけどね。

 

自分のために何度も書くけれど

自分を卑下することで生きてきた半生だったので

「自分のためになること」ができなかったです。

成功しそうになるとやめて。

うまくいきそうになると止めて。

幸せはいつも他人に譲るもの、他人の幸せを見つけるものと。

 

人を喜ばせることだけが自分の評価でした。

 

そうするとね、他人がそばにいることだけで

自分のことがおろそかになるんです。

その人がどんなに私を愛してようが、わかってくれてようが。

私の脳が勝手に自分を卑下するように調整してくるんですよね。

 

だから、ひとりになりたかった。

 

自分を救うために。

 

私が本当に喜ぶために。

 

で。気づいたんですけど(。

「あなたはそのままではいけない」という人を呼び込んでたんです。

インナーチャイルドがどうだとか、癒されてないだとか言う人を。

それも自分を卑下するのにとても役に立ちました。

 

そうやって、ダメな自分を再生産し続けていたことが

今ではよくわかります。

 

どんなメソッドも「あなたは不完全である」が出発点です。

そして「これで良くなりました」というストーリーが作られます。

これが罠です。

 

自分を責めてきた人ほど、そういう罠に陥ります。

そして、スピジプシーやカウンセリングジプシーをしてしまいます。

それはそれでいい経験になるし

自分のことを言語化する練習にはなるんですけど

根本的に解決はない気がしています。

 

結局、自分を責める人に追いかけられる人生になる。

いつまでたっても、その人たちから見た「完成した自分」にはなれないから。

 

誰かの理想像を自分に当てはめて、それをゴールにしちゃいけないってのは

誰かと一緒に居たり、誰かの言葉に影響されている時には視えないモノです。

インナーチャイルドが癒されなければならない」

気功師が〇をくれるような体にならなきゃいけない」

ってね。

 

んなことないですよ。

 

みんな、どこか病みながら生きてるんです。

 

不完全さを愛し、認めることこそが生きるということじゃないのかな。

 

わたしは、ひとりになって、自分自身を大切に扱えるようになって

やっとそれがわかりました。

 

たとえ一週間の内5分でも、私としゃべって楽しいなあと思ってくれる人がいればいい。

私を指導しようとする人と関わるよりずっといい。

私と話をしたあとで「楽しかったよ!」と感想をくれる人とだけつながってれば、わたしはそれでいいです。

 

あとはひとりで、自分の大切な人を想う一人の時間があればいい。

 

誰にも急かされず、誰にも注視されず、ゆっくり自分のペースで生活できる喜びは

何にも代えがたいものです。

 

わたしはそれを、子ども達に手渡したつもりです。

子どもを、私を喜ばすためにそばに置くのは嫌だったから。

それはあなたたちの人生じゃないって。

たしかに、家族のイベントを考えるのは好きだった、何が好きで何をプレゼントしたら喜んでくれるかを考えるのも楽しかった。

だけど。私自身をほっとさせるほうがもっと大切だった。

 

今年はおせちもつくりません。

何十年ぶりだろうね(笑)

何しようかな。

 

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クリスマスから年末♪

最近、日々が飛ぶように過ぎていき

え?クリスマスなの?どうなの?と言ってる間に

終わってしまいました。

 

とはいえ。今年は嬉しいクリスマス。

有形無形のプレゼントがやってきました。

毎年、私はプレゼントを配る側。

自分自身へのプレゼントが欲しいのに

どうしていいかわからない人生でした。

そして、そのつまらなさが寂しさに変わり、どこか心のどこかが寒くなるのが毎年の恒例になっていたものです。

 

ところが、他人へ提供することを止めた途端

自分へのご褒美が目に見えるようになり

穏やかで幸せなクリスマスを迎えることができました。

 

本来のクリスマスって

生きるのがとても困難だった時代の希望だった気がするんですよ。

だから、たぶん、今年のクリスマスは

本来の意味に近づいたんじゃないかな。

 

プレゼントを交換し合うだけじゃなくてね!

 

「サンタさんは本当にいた!」って大人になってから気づくのもいいものです。

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どこで見たのか思い出せないんですが

コロナで人と人が会えなくなってもネットでつながってる感覚が「これからの時代」だとかなんとか。

 

これ、わたしはすごくわかります。

人間は波動だ、なんだって言ってる人たちも

最後には「ぬくもり」「触れ合い」という話をしてくるんですけど

私からすれば、離婚しようが遠く離れていようが、その人との記憶や愛はなくならないと思ってて、

ネットで「つながってる感覚がもてる」または、身体という物質がなくても、つながってる感覚を得ることは可能だと思っています。

 

今のスピの流行に乗ってる人たちって

なんやかんや言うて、物質主義なんですよね。

最後はお金と肉体関係(笑)

 

そのくせ、それらが波動だの目に見えないんだのなんだのって理屈ばっかだ。

 

昔から、意識を飛ばして生きてる私には

結局お金と肉体関係が欲しいだけのスピな人たちにはついていけなくて

本を読んで想像して豊かな気持ちになったり

音楽を聴いて人生を変えたりすることのほうが

ずっと当たり前にスピリチュアルだなと。

 

実際に触れあうことと、縛りあうことは違うし

離れて暮らすことと愛がないことは違う。

 

その感覚が同じような人たちとこれからは

わたしはつながっていく気がするし

そういうつながりの中で生きていく気がしています。

 

ほんと、SFの世界になったよね。

結婚という制度があったとしても

名前がみんな違ってもいいし、全員別々の場所に住んでもいいわけじゃん?

それができないってことは、自分たちの気持ちに自信がないってことで

名前や同じところに住むことでしか、確かめ合えない絆ってか、気持ちってか

そういうことしかないってことじゃん?

 

一体感を持ちたいのは、結局不安だからだし。

 

ということをつらつらと考えてるお休みの日です(笑)

 

羽生君の演技がまた!見れましたよ!

それだけでも、私は幸せだよ。

なんであんなにかっこいいんでしょうね~~~

どんどん透き通って、技も磨かれて、同じ時代に生まれたことだけでも

奇跡だと思う。

 

ではまた(#^^#)

 

 

 

ほっとする日

今朝は用事を済ませて市場に。

ここのところ、野菜がとても安いので

一週間に一度は鍋を食べます。

 

食べきれない分は冷凍。

 

後日、うどんと一緒に。

 

普段、ゆっくり昼食を食べることが少ないので

土日の野菜摂取は重要(゚∀゚)です。

 

ひとりになって食べ物に対して欲がわかなくなってから

逆に自分の好みがはっきりしてきたことに驚いています。

食べたいものが限られてることに気づいた。

なんでも食べると思ってたのに。

 

年齢のせいなのか、気づかなかったのかどちらかわからないですが

食べ物に限らず、自分の嗜好がとてもはっきりしてきている気がします。

 

誰かに合わせる必要がなくなったからかもしれないね。

 

街も自分もクリスマス気分にならなかったけど

家を片づけて、YouTubeでクリスマスのBGM流してたら

ちょっとクリスマスの気分にもなってきていい感じ。

 

わたしがいつもしているおまじないがあります。

気分が悪い時に自分に言い聞かせること。

「家族と一緒の時も、誰かとラブラブの時も、このしんどさはあった。これは独り身が原因じゃない」って。

みんな、忘れちゃうんですよ。

そして勝手に紐づけてしまう。

 

先日。Twitterで「不登校の子供の胃腸はどうだこうだ」っていう意見があって

私は「そんなの登校している子どもの胃腸も調べないとおかしいでしょう」と返信したのだけれど。

すべてがそんなものです。

 

家族と一緒であろうが、登校してようが、胃腸が悪い人は悪いし

気分が悪い時は悪い。

不登校になったり、離婚して一人になったり、世間的に「間違ってる気がする」状態にある時、つい、それを忘れて、自分のせいでこうなったって思ってしまう。

 

人間、どんな時も気分が良くなったり悪くなったりするんだよ。

誰のせいでもなくて。

だから、状況にすべてを紐づけないでいましょうね。

 

昨日は、ちょっとお店の対応が酷くて落ち込んだりしたけど

今日はこんなに穏やかで気分がいい。

何をしたわけでもないし、何があったわけでもない。

あ、睡眠時間が長かったな!!!

そして、お風呂で身体を温めた。

 

身体を大切にするだけで、日常は変わると思うのです。

 

「ひとりだから寂しい」と思い込むとそこから抜けられないからね。

 

明日からまた、年末まで走ってまいりましょう。

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少し前に散歩した公園で。

いつでもどこでも、自分をリラックスさせて。

どんな時も自分だから

急に冬がやってきました。

みなさま、お変わりありませんか?

どうか、少しでも温かく過ごせますように。

 

就職して三ヶ月になろうとしています。

仕事の向き不向きというものは

育ててくれた人の見る目とは全く異なっていて

やってみないとわからないんだということを強く感じています。

 

直属の上司も「親から、あなたには無理と言われた」と言ってましたし

私もおそらく、新卒でこれを選んだらそう言われたことでしょう。

 

そして、私自身も、周囲の声のほうが正しいと信じていた頃には

絶対に選ばなかった仕事です。

 

いやまったく。周囲の声ほどあてにならないものはない。

 

客観的に見るほうが正しいのだ、という意見が大半の世の中だから

「わたしは才能でここまできました」と言ってる人でさえ

「幼い頃からみんなに認められていた」とか「周囲が勧めてくれた」と言ってしまう世の中です。

 

己の感覚だけで、誰にも理解されない中で、自分の仕事を見つけられる人は

とても稀だと思います。

 

そしてまた、仕事とプライベートのバランスがとれているかどうかも

仕事をする上で大切な精神状態を保てるわけで

わたしはそれを無職の間に整えました。

 

図書館の仕事もたいていそうですが

「重くても自分で持つ」「愛想笑いでは済まされない(成績がすべて)」「詐欺師は嫌われる」「実力がすべて」

そして図書館と違って、そのすべてが給与に現れるという明快なジャッジ。

 

女性性が~~~とかなんとか言いながら

男や子供を支配したがったり、自分でできることも男にしてもらおうとしたり

女同士の不毛なマウンティングをやらかす女性とは

違う世界をやっと見つけたのかなあという感覚です。

 

世界は広い。

 

やり方の是非はともかく。

 

たとえば、魂に序列や点数をつけたがる人や

道徳という教科を、自分は評価できると思っている人や

とにかく、目に見えないもので他人を縛り、自分にはわかってるんだと説教できると思ってる人(自分が評価されたくないから、評価できる立場に立とうをとした人たち)が多い中、純粋にポイント制で給与が決まる清々しさったらない。

どんなに上司に取り入ることができても、

成績上がらなかったらそれまでなんだから。

 

学校の成績がどうであろうが、

男ってだけで家事育児を免除されるのが当然だと思ってる人もいれば

体育や絵画で見せしめにされた人の気持ちがわからない人もいれば

完璧を求めて「治してやる」立場に立とうとする人もいて

世界は不平等だし、不公平だし、精神世界系にいる人のマウンティングはすさまじいし、どこに自分の理想があるんだろうと探し回っていたけれど。

 

世界は広い。

 

今まで生きてきた世界の「目」を外すだけで

新しい世界が手に入るということに気づいた人生後半です。

 

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歪みは歪みのままでいい。

身体もどんどん言うことを効かなくなっていく。

でも、それでも、変わらないものがあるんだ。

 

それを見つけよう。

 

成育歴で傷つかなかった人などいない。

それを逆手にとって、癒そうとする人は危険。

人間に正解やゴールやこうあるべき姿などないんだよ。

 

それを彷徨いながら揺れながら生きていくのが自分自身なんだ。

 

どんな自分も見捨てないで。