あけましておめでとう!~癒されドラマ①BONES
あけましておめでとうございます。
今年も張り切ってまいりましょう。
今の私の癒されドラマ「BONES」
素人のアドバイザーがどれだけ「癒してやろう」としてくれようが
私の傷はどうにもならなかったのは
そこに日常性がないからだと気づきました。
癒しって日常で起きてこそ、なんだよね。
主人公は法人類学者。骨から事件を解決するんだけど、いわゆる発達障害系の女性で、言わなくていいことを言っちゃったりする。
だけど。アメリカだからなのか?才能は抜群に評価されてるし、美貌もあるから男性から寄って来られる。
それはともかく。若干その嫌われがちな性格を、FBIの捜査官が上手にフォローしていく姿がいいのです。
これこそが愛だろ。
否定せず、さりげなく発言をフォローする姿を見て
「そうそう、こんな風に守られたかったんだよ!」という言葉にならなかった気持ちが目の前で繰り広げられてることに満たされて癒される、みたいな。
日本人がコミュニケーションをおろそかにしすぎて磨かなかった技術がここにあります。
自己責任にしてんじゃねーよ、自分が他人を守れないからってな。
このドラマ、日本への勘違いもあるし、全部が素晴らしいわけじゃないけれど
誰もがほどほどに孤独で、誰もが大きな傷を抱えていながら
それをいちいち突っつきあわず、お互いがいい関係でいようと努力しようとする姿が
日本のドラマにはない部分です。
村八分文化は殺人の温床、というオチも見られますしね。
日本でこれに似たドラマを見つけてたまに見るんですが
天才の主人公は浮きまくり、嫌われてて、理解者がいてよかったね、ぐらいの扱い。
しかも男性がほとんど。
このBONESは女性が主役だし、たくさんの男性と寝たりするけど、相棒としてそばにいる男性はそういうことも受け入れてるし。
殺人のグロさも半端ないけど、人間ドラマとして観ていて温かい気持ちになります。
肉体は肉体に過ぎないよなあと思ったりして。
↓
ここからは余談。
私も結婚していたからわかるのはわかるのですが
パートナーが、自分以外の女性と関わるのを嫌がる心理は「当たり前」と思いがちですが、本当に当たり前なのだろうかということです。
気付いたのだけど、それはたぶん
「自分の肉体の延長線上にパートナーの肉体を感じているから」じゃないかなと。
本来は、まったく別の肉体だし、自分のじゃないから支配できないはずなのに
まるで「自分の肉体であるかのように」感じている。
だから、別の知らない女性が触ると不快感がこみあげてくるんじゃない?
わたし、長男が生まれてすぐの時、姑に子どもを奪われそうになって(出産直後だったし過敏になってたんだけどね)「姑に子どもを抱かせなかった」んです。
それで死ぬまで恨まれたけど・・・
その時の感覚もそうだった。
自分の一部を奪われる感じがしたんです。
日本人は、身内はひとつの大きな生き物としてて
肉体のつながりと魂のつながりを同一視しすぎている気がします。
魂だの波動だのって言ってるくせに
パートナーの肉体は縛りたがる。
「一緒にいる」「誰にも触らせない」ことが「つながり」だと思ってる。
現実はそうなんですよね、たぶん。
わかりますよ、気持ちはわかる。
けれど、冷静になってみれば、パートナーがどういう生き方をしようが誰と触れ合おうが、どうにもできないし、それがつながりを切る行為とみなされるのはちょっと違うんじゃないかなと。
息子の嫁が嫌いってのと似てません?
自分の息子、自分だけが触れられたはずの息子が、別の女に奪われるのを嫌がる母親は多いですよね。不倫や浮気を嫌がるのはそういうことだと思う。独占欲でしょ。
肉体の相性と魂の相性が一致することなんてあるのかな~
それとこれとは別々に存在することもあるんじゃないかな。
男も女も乗り越えるべきことは多そうですよ。
わたしは、浮気がどうとかよりも、女に家政婦兼看護師兼飲み屋のママをさせるやつが一番嫌いなので(笑)
家族(元嫁、娘)の自慢&愚痴を言っていい相手にされるとさよならしますよね、普通に。作ってもらったおせちで寛いでる人に対して恋愛感情はまったくわかないかわいくない女性です(爆。
目の前にいる「わたし」に配慮しない彼氏なんてあり得ない。
結婚したんだから、パートナーなんだから、彼の思想も肉体も私の思い通りと思っているようでは、これからは難しいかもしれないよ。
わたしは誰にも思い通りにさせないし、ならない。
従属は愛ではない。
というわけで、寒いお正月はドラマ観て、勉強して過ごします!
正月明けに試験とかあり得ないわ~~~まったく。
大晦日にキレイな満月を観ました。今日も見えるかな。